日大のアメフト問題、報道の過熱及び日大側の貧弱なリスクコミュニケーションの結果、人々の「アウトレイジ(怒り)」感情に火がついている。5月17日の夜2100からのNHKニュースなどは、日大に「危機管理学部」があることを紹介し、暗に「危機管理学部がある大学のくせに何をやっているのか」と言わんばかり。数多くの著名人や危機管理の専門家と言われる人々もあちこちで登場し、「もっと早く対応していればこんな事にはならなかっただろう・・・」とその初動対応を批判。事態は2乗曲線を描いて悪化していったように思う。日大の初動対応が悪かったのは、誰の目から見ても明らかだし、火事と同じで火は小さいうちに消さなければ大火災になるのは常識と思うのだが、一体なぜ、このように急速に世論の怒りを買う事態になるのか。そこには、ヒューリスティックとバイアスというものが大きく作用している。
まず、日大が大衆とコミュニケーションしなければならないリスクは、そもそも何だったのかということを考えてみるとそれは「日大アメフト部がルールを逸脱した違反行為により相手選手に危害を与えるリスク」である。このリスクが5月6日の試合で顕在化した以上、そのリスクを生じさせた原因となるハザードが何かを迅速に究明し、そのハザードを除去する対策を示して、人々を安心させる必要があった。今回のハザードは、監督の意図的な指示が原因であれば、監督という人物そのものであるし、そうではないのであれば、アメフト部内における監督・コーチと選手とのコミュニケーションの仕組みの問題なので、まずは、そのハザードが何かを明らかにし、それに対する対策を示す義務があったのだが、それをせず、責任の矮小化ばかりしていたため、人々を怒らせてしまった。内田監督は、自ら辞任し、責任を示すことで沈静化を図ったが、その際、一体何が原因かを明確にしなかったため、その辞任は単なる「かっこつけ」としか映らず、何の解決にもならなかった。それどころか、その後の記者会見のまずさも加わり、アメフト部内のリスクではなく日大全体が抱えるリスクなのではないかと人々のリスク認知が変容してしまった。
振り返って見るに、試合のあった5月6日夜の日刊スポーツの記事を見る限り、事態は、全くこんな大火災になる様相は示していない(⇒情報源: 5月6日19:48 : 日刊スポーツ)。ただし、この記事には
最初の守備でDLが、不必要なラフプレーの反則を連発した。さらにプレー後に相手を殴って、資格没収=退場となった。「力がないから、厳しくプレシャーをかけている。待ちでなく、攻めて戦わないと。選手も必死。あれぐらいやっていかないと勝てない。やらせている私の責任」と独自の持論を展開した。
と渦中の内田氏のコメントが紹介されている。ここには明確に「やらせている」とある。ところが、15日に日大から関西学院大学に送付された回答書(⇒回答全文)では、このコメントは「真意が伝わらず反則行為を容認する発言と受け取られかねないものであり、本意ではありませんため、ここに、試合終了直後にメディアに対して発した弊部監督のコメントは、撤回させていただきます。」と撤回された。撤回すれば済むような話ではないのだが、こんなところにも、日大側の考えの甘さがにじみ出ており、火に油を注いだ。
試合を直に見ていた上記の記者が書いたと思われる5月18日付の記事(⇒情報源: 5月18日12:19 : 日刊スポーツ)は、次のように締めくくる。
監督の指示かが焦点になっているが、選手の暴走だとしても、ベンチに下げず、退場後注意した様子もない。試合後、関学大に頭を下げていれば、ここまで発展したか。いまだ公式に謝罪すらしていない指導者の責任は重い。コーチも容認したと言え、総退陣して一新しない限り体質改善はされないだろう。この状況では秋のリーグ戦に影響が懸念される。アメリカンフットボール存続にすら危機を感じる。【河合香】
19日には、渦中の内田監督が記者会見し辞任(⇒内田伊丹空港会見)。ただ、事実関係について何も話さなかったので、更に火に油を注ぐ結果となる。
そして、21日には、日本大学教職員組合が、同大学・田中英壽理事長と大塚吉兵衛学長へ宛てて声明文(情報源: 日大教職員組合らが理事長、学長に声明文/原文まま – スポーツ : 日刊スポーツ)を発表する事態にまで悪化した。
連日メディアでセンセーショナルに報道されているこの問題によって、本学に対するイメージと社会的信用は深く傷つけられてしまった。学生の勉学意欲や様々な対外活動、学部生・大学院生等の就職活動、教職員の士気、さらには受験生の本学に対する見方や教職員の採用に至るまで深刻な悪影響が懸念される。ひいては、このことが本学の教育を誠実に支えてきた教職員の労働環境悪化にもつながりかねないことを危惧するものである。
22日には、反則を行った選手自らが会見し、監督指示によるものだと主張(⇒選手会見、Youtube)。このままだと自分一人に全責任を負わされることになりかねないので、これは当然。こんな形でマスコミの前面に出てくるのは相当に勇気のいることである。その翌日、23日夜、内田元監督と井上コーチが会見し、自らの指示を否定。25日には日大学長が会見したが原因究明は第3者委員会に一任すると表明した。26日には、関学大が会見し、日大の説明では全く納得できないとして、信頼が回復できるまで以後の定期戦を中止するとした。また、関東の各大学も同様に日大との試合を見合わせると発表している。その他、アメフトが極めて危険なスポーツとして偏見を持たれたり、日体大が日大と名前が似ているので間違えられたり、ラグビー協会がアメフトと勘違いされて非難されたりと、全く関係のない方面に悪影響が及ぶ「風評被害」をも生じさせている。
さて、ヒューリスティックとバイアス(⇒「ファスト&スロー」参照)だが、これは、ノーベル経済学賞を2002年に受賞した心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキー(1996年に死去し、ノーベル賞は受賞できなかった。)が提唱した理論である。正統派の経済理論を勉強したことのない唯一のノーベル経済学賞受賞者といわれているが、彼らの理論は、行動経済学として最近非常に注目されているように思う。「ナッジ」の理論で有名な2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーもダニエル・カーネマンらと協働で研究をしてきた行動経済学者である。
人間は必ずしも合理的ではない(ハーバート・サイモン(1978年ノーベル賞)「限定合理性」)として、代表性ヒューリスティック、利用可能性ヒューリスティック、アンカリング等の存在をカーネマンらは指摘したが、要するに人間は、物事の一部のみを見て全体を判断してしまう(ヒューリスティック)ものであり、このため、実際の意思決定には偏り(バイアス)がつきものだ、ということである。
今回のアメフト事件では、明らかに我々はバイアスを持ってニュースを見ている。すなわち「日大の内田監督が悪いに違いない。」というバイアスである。ではこのようなバイアスを与えているヒューリスティックは何だろうか。それは恐らく「感情ヒューリスティック」(ポール・スロビック(心理学者)提唱)と呼ばれているものである。感情ヒューリスティックとは、熟考や論理的思考がほとんど行われずに、好きか嫌いかだけに基いて判断や決断が行われることだ。無防備な状況だった関学のQBへタックルする映像がテレビで繰り返し報道され、さらに内田監督が「QBを壊してこい」と言ったとか言わないというニュースが世間を駆け巡ったため、私を含め、ほとんど全ての人が「これはひどい。」と思ったろう。この時点で我々は、感情ヒューリスティックにはまり、内田監督が悪者であることを示すニュースには耳をかすが、それに反する情報からは目をそむけるようになっていたはずである。
このような状態は、あくまでも人々の感情に対してかかったバイアスなので、早めに事実を発表し、陳謝すれば、相当程度収まるものである。しかし、先日の財務省の事務次官セクハラやモリカケ問題もそうだが、往々にして理屈っぽく、地位の高い人になればなるほど、理屈で事実を歪曲しようとする。しかし、それでは感情ヒューリスティックは解消しないので、更に人々のバイアスは高くなっていくという悪循環に陥る。
プロ野球球団が日大とのスポンサー契約を解除するなど今回の事件で日大のブランドイメージは、大きく毀損されたが、このような事態になることを防ぐためには、組織のトップが、自分が悪い場合ではなくても、前面に出てきて、迅速に謝るとともに事実関係を明らかにし、改善策を示す、これが鉄則ではないだろうか。それをしなかったために、日大の信用がガタガタになったわけなので、内田氏が部を辞任したくらいでは世論も納得しない。今回の事件では、指示があったにせよ、なかったにせよ内田氏自体が最大のハザードである。従って、それを含むハザード全体を明らかにし、対策を示す義務が日大にはある。
日大側は、指導者らの刑事責任を回避することだけを念頭に入れて対応しているように見える。しかし、指導者らの刑事責任回避は日大という組織を守ることとイコールではない。不祥事が発生した時に組織のトップが責任回避に走って自滅するということは過去にもあった。今回の事件は、リスクコミュニケーションを学ぶ人達にとって最悪の事例となるに違いない。
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