初動対応における意思決定

(1) 救急救命士に見る初動対応

如何なるインシデントの場合でも現場における初動対応が極めて重要であるが、不幸なことに我が国では、初動対応ができない、または、規制されている場合がある。なぜ、初動対応ができないのであろうか。これについて、1991年に救急救命士の制度ができるまでの救急対応の状況等を例にとり、考察して見てみよう。言うまでもないが、救急救命士とは、救急車の中で医師に代わって一定の医療行為を実施する救急隊員のことであり、救急救命士として医療行為を実施するためには国家資格を取得しなければならない(救急救命士法第3条)。そして特定行為を行うためには医師の指示の下で行わなければならない(同法第44条)。

そもそも、日本の救急隊は、事故による怪我、つまり外傷対応を中心に考えられてきたが、1975年頃からは「急病対応」が大きなウェイトを占めるようになった。しかしながら、医師法第17条に「医師でなければ、医業をなしてはならない」と規定されていたため、救急隊員はそれが一刻を争う救命措置であっても何もすることはできなかった。この法律は戦後蔓延したいわゆる“闇医者”を規制したもので、医師でない者が金銭目的で医業を行うことを禁止した法律である。だが、救急隊員は消防吏員であり医師ではないので第17条に抵触する可能性があった。できることはただ迅速に病院へ搬送するだけだったので隊員たちは自らを「運び屋」と呼んでいた。1978年7月、東京消防庁では定期人事異動により武井勝徳氏(当時44歳)が救急担当課長に着任した。着任から約一ヶ月が過ぎたとき、武井氏が休日を利用して家族と出かけた千葉の海水浴場で、当時中学生だった長女が高波により岩に叩きつけられ負傷。口元から大量出血してしまう。駆けつけた地元救急隊とともに病院へ向かった。有効な手当てが行われることもなく、付き添う武井氏の目の前で娘の出血は止まる気配を見せなかった。「出血を止めることはできないのですか!?」と思わず口にした叫びに、隊員は「救急隊に医療行為はできません。急いで病院へ向かいます」と静かに答えた。病院での処置の末、長女は事なきを得たが、同氏は米国の救急隊員が「パラメディック」つまり准医師として高度な救命処置を行なっている状況等を見るにつけ、なんとかする必要があると考え各方面の説得を試みたが医師会等は反対した。そこで武井氏は1988年4月、主婦雑誌である「暮しの手帖・13号」に投稿し、主婦層に直接訴えた。「なぜ外国で許されている救急処置が日本では許されないのか」と題された4000字に及ぶ武井氏の原稿は大きな反響を呼び、以後、マスコミ各社はこの問題を大々的に取り上げるようになる。そして報道により世論が動き、そして国も動かした。「病院前救急医療体制の抜本的な改革」が叫ばれるようになり、プレホスピタルケアの強化策として1991年4月23日に救急救命士法が制定され、同年8月5日に施行された(Fire Rescue EMS「救急救命士誕生」(http://www.signalos.co.jp/paramedic/paramedic_01.html)参照)。

なお、救急救命士法が制定される以前に全く救急隊員による救命措置が行われていなかったかというと実はそうではない。かつては救急車には注射器と強心剤が積載され、心不全などに対してはまずカンフル注射を行い、人工呼吸も行われていた。ところが、1957年に発生した救急隊員がカンフル注射等をしたにもかかわらず患者が死亡という事件が訴訟となり、医師法第17条を根拠に救急隊員のカンフル注射が問題視された。幸い判決では「男性の死と注射に因果関係はない」とされ、更に「救命のための緊急避難措置としてやむを得ない場合にカンフル注射などを行うことは“反覆継続の意思をもって行う医業”ではなく、医師法第17条にいう“医業”とは解されない」という解釈が示された。だが、医師法違反に問われるかもしれない行為を救急隊員が行うわけにもいかず、1970年頃になると各地の救急車から注射器が消えた。

このように救急救命士法が制定される以前でも一定の救命措置は行われており、かつ、それが必ずしも違法行為であったわけでもないが、医師法違反に問われるかもしれない、という危惧からこれが行われなくなってしまったのである。筆者は判例で「救命のための緊急避難措置としてやむ得ない場合にカンフル注射などを行うことは“反覆継続の意思をもって行う医業”ではなく、医師法第17条にいう“医業”とは解されない」との解釈が示されている以上、救急救命士法という法律がなくても救急隊員による救命措置は可能であったのではないかと考えるが、日本社会というのは責任を追求されることを極度に恐れる傾向があるのも事実であり、法律としてお墨付きを与えなければ現場が納得しなかったのであろう。責任回避の文化が日本の初動対応に関する各種の問題を生じさせ、被害を拡大させる大きな要因になっている。

(2) 福島第一原発事故に見る初動対応

救急救命士の制度は、初動対応の問題が救急救命士法という個別法の制定により解決された数少ない成功事例であるが、不適切な初動対応が重大な結果をもたらしている事例は極めて多い。身近なところでは、福島第一原発事故における現場対応が記憶に新しい。この事故では首相官邸の少人数の政治家と技術アドバイザーから構成されるチームが福島第一原発での現場対応に深く関わり、国全体の危機管理として多くの問題を残した。

例えば、菅首相(当時)による1号機への海水注入の中止命令である。2011年3月12日夕方、原発の吉田所長が1号機への海水注入を実施していたところ、これを聞いた菅首相が再臨界の可能性を疑い海水注入を中断するよう指示したのだという。吉田所長がこれを無視して注水を継続したからよかったようなものの、実際に中止されていたら事態は更に深刻になっていたかもしれないというものだ。更に翌13日には吉田所長が3号機に海水を注入する準備が完了したところ、官邸から淡水を注入するよう指示があったため注入ホースの敷設をやり直したという。しかし、淡水は約3時間で枯渇したため、その後、海水に切り替えられた。淡水への変更は、結局ほとんど状況改善にはつながらず、経路変更で無駄な作業員の被曝を生んだ可能性があり、官邸の指示が作業を遅延させたばかりでなく、原子炉注水操作失敗の危険性の高めた疑いがある(福島原発事故独立検証委員会調査・検証報告書第2部第3章第2節2)。

他にも数多くの現場介入があったと報告書には記載されているが、一刻を争う初動対応に対して、現場から遠く離れた東京で専門知識もない政治家が正確な状況もわからないまま現場介入することが如何に危険かを示す、極めて好ましくない事例である(欧米ではこのような政治家からの介入を「Noise(雑音)」と言っている)。

なお、それでは制度的に最初から原発事故では官邸が現場に指示することになっていたのかというと実はそうではない。政府の原子力災害対策マニュアルにおいては、緊急事態が発生した場合の基本的な役割分担として、①オンサイトの緊急事態応急対策については原子力事業者が担当し、②オフサイトでの緊急事態応急対策については、オフサイトセンターに設けた原子力災害合同対策協議会が主導的に対応し、重要な事項について必要に応じて官邸の原子力災害対策本部に判断を仰ぐこととなっており、専門性の高い技術的判断など、迅速に求められるアクシデント・マネジメントへの関与は本来予定されていなかった(福島原発事故独立検証委員会調査・検証報告書第2部第3章第2節1)。

では、官邸による現場介入は違法行為なのかというと役割分担違反に罰則が設けられているわけでもなく、逆に政府側は原子力災害対策措置法により主務大臣が原子力事業者に対して措置命令ができ、万が一、当該命令に従わない場合には、罰則を科す(第40条)ことができるなど、解釈次第では現場介入が正当化できる余地があったと言わざる得ない。

米国では、原子力災害が発生した場合、原発の中央制御室にいる当直長が全権をもって事態に対処しプラントを守るのだという(2013年3月17日日本経済新聞朝刊P9)。日本でも東京電力が緊急時には原発所長に全権限を移譲してインシデント・コマンド・システム(ICS)による訓練を開始(2012年12月26日電気新聞P1)するなど福島第一原発事故を受けて意思決定の仕組みの見直しが少しずつ行われてはいるが、一般的には福島第一原発で見られたような現場介入が様々な分野及び組織で官民を問わず行われており、大きな問題である。

(3) 緊急時に誰かの指示を必要とする制度は機能するか

先に救急救命士は、それが特定行為の場合には医師の指示の下で処置を行わなければならないことを指摘した。しかし、通常の救急対応であれば電話やその他の通信手段を用いて医師の指示を仰ぐことができるが、通信インフラが被災して使用不能となり、指示を仰ぐことができない事態となったらどうするのか。実際に東日本大震災では携帯電話、固定電話等の通常インフラのほとんどが被災し、医師の指示など仰ぐことができる状況ではなかった。このため厚生労働省は、震災発生後の2011年3月17日「救急救命士の特定行為の取扱いについて」という通達を出し、「救急救命士法は今回のような緊急事態を想定しているものではなく、こうした事態の下では、通信事情等の問題から医師の具体的指示が得られない場合についても、心肺機能停止状態の被災者等に対し、医師の具体的指示を必要とする救急救命処置を行うことは、刑法第35条に規定する正当業務行為として違法性が阻却され得る」との解釈を示し、医師の指示を仰ぐことなく医療行為を行ったとしても不問とすることとした。では、この通達が出されるまで現場の救急救命士は何もしなかったのだろうか。法律に杓子定規に従って何もしなかった人もいるだろうし、法律を無視して自分の判断で救急救命処置をした人もいるだろう。更に、このような厚生労働省の通達が通信インフラが被災している状況下において現場の救急救命士に伝わったのかという点にも大きな疑問がある。恐らく、現場の救急救命士が医師の指示なしに救急救命処置を行ったとして訴えられたとしても裁判所は厚生労働省と同様の解釈を示し不問にするだろうとは推定はできるが、現場の救急救命士に与えた不安や混乱は計り知れない。

福島第一原発での初動対応における官邸の現場介入が如何に危険なものであったかはすでに指摘したとおりであるが、そもそも、なぜ、ピラミッド型の官僚制組織では誰かの指示や指揮の下で働かなければならないのであろうか。その答えは「情報」である。何らかの意思決定をするためには情報が必要である。しかし、自分1人では意思決定に必要な情報がないとする。その場合はどこかに情報を集約し、別の人がその情報を見て戦略を考えるしかない。現在のようにインターネット技術により瞬時に情報共有が行える場合は、必ずしも上司に情報を集約して上司の判断を仰がなくても、組織の末端職員同士がフラットに情報交換して自律的に意思決定することも不可能ではないが、少なくともインターネット技術が出現するまでは上司に報告して上司の判断を仰ぐしか方法がなかった。しかも、1人の人間が把握できる情報量には限界がある。そこで多くの組織はプラミッド型になり、それぞれの上司から指示を受ける必要があったのである。例えば、各営業スタッフは営業部長に報告し、営業部長が情報を集めて営業戦略を考えて指示を出す。各営業部長は事業本部長に報告し、事業本部長は事業本部としての事業戦略を考えて指示を出す。更に各事業本部長は社長に報告し、社長は全社戦略を考えて指示を出す。これが伝統的なピラミッド型組織のスタイルである。軍隊でも企業でもこの考え方は同じである。もともと各階層の役割はそもそも異なっており、社長の仕事は営業現場に細かな指示を出すことではない。軍隊でも統合参謀本部長が戦場の兵隊に対していちいち「撃て」「打つな」などという命令はしない。意思決定に必要な情報を持っている人が意思決定すればよい。自分一人で必要な情報を持っていれば自分で決めれば良いし、どこかに情報を上げて判断を仰ぐ必要があれば必要最低限のレベルまで上げて意思決定を仰げば良いのである。

蛇足だが、ピラミッド型組織は、ベンチャー企業のように比較的組織が小さい場合には、ピラミッドの階層が少なく、組織の風通しが阻害されないので、組織の調整機能が有効に働き、組織力を発揮することができるが、組織が大きくなり、階層が多くなってくると数多くの問題点がみられるようになる。これはロバート・キング・マートン(1910-2003)らによって明らかにされた「官僚制の逆機能」といわれるものであり、官僚主義とも呼ばれているもので、先例がないからやらない、規則に示されていないからやらない、上司の了解がないからやらない、専門外だからやらない、意思決定に長時間を要する、情報が上層部に正確に伝わらない(伝言ゲームになってしまう)、などの諸現象のことである。日本の行政組織や大企業のような巨大なピラミッド型組織が、大災害時にその通常時の組織体のままインシデントに対応することになれば大変なことになることは容易に想像できるところであろう。

緊急時とは、通常時と違う状態を指す。時間の流れのベクトルが通常時とは根本的に異なり、かつ、普段使い慣れた道具や人材も使用できない可能性が高い状態である。通信、輸送、その他の通常インフラが使用不能になることは当然のごとく予め想定しておかなければならない。通常時と同じ意思決定プロセスを要求することは百害あって一利なしである。日本では、現場から遠くはなれた東京の本社、本庁、場合によっては首相官邸といった中枢組織が現場の細かい作業にまで頻繁に口を挟むが、現場から離れれば離れるほど通信インフラの故障などで情報が伝わらない可能性が高くなり、仮に通信回線が確保できたとしても状況の伝達には時間がかかり、また、伝言ゲームをしているかのごとく正確な状況というものはつかめなくなるものである。このような中央からの介入は基本的に事態の改善には繋がらないと考えたほうが良い。現場の判断が間違っていることも当然あるだろうが、情報が正確迅速に伝わらなければ中央の判断が間違う可能性の方が遥かに高く、中央の判断を待つということが習慣化し前提条件になってしまうと作業が遅れ、被害が広がる可能性の方が高いであろう。従って、現場から遠く離れた組織の役割というものは、基本的に「現場の支援」である。現場が自ら考えた計画を実施するために必要な資源(人物金など)を最大限提供し、また、そのために必要な調整を実施するという役割につきる。

なんとしても、インシデントの大小や種類を問わず、現場にて意思決定ができる仕組みが必要である。情報は災害現場・事故現場に集中しており、状況を直に見聞きできる現場であれば通信インフラの故障などがあっても意思決定できる。上位組織は、現場への支援に徹するべきである。参考までに緊急事態におけるインシデント対応について標準化した国際規格であるISO22320には次のように規定されている。

「structures and processes should permit operational decisions to be taken at the lowest possible level, and coordination and support offered from the highest necessary level」(運用上の意思決定は可能な限り低い階層で行うことができ、調整及び支援は一番高い階層から提供できるように、体制及びプロセスを構築すること(ISO22320 セクション4.1)。)

米国でも次のように規定されている。

Incidents must be managed at the lowest possible jurisdictional level and supported by additional capabilities when needed.(米国Introducing National Response Framework 2008, P4)

我が国には「現場から直接情報が上がってくるような日本版FEMAのような組織を作ってはどうか」などして、中央の権限強化を求める意見が時として国会で行われているが(民主党 中川正春、2013年5月10日衆議院災害対策特別委員会等)、米国FEMAは決して現場から直接情報を得てこれを指揮監督している機関ではなく、防災予算の配分・支援資機材の準備・訓練研修など現場を支援するための機関であって、これらは誤解であり、認識の誤りである。

(4) 現場に権限を移譲するためには何が必要か

以上のようにインシデントに対しては基本的に現場で意思決定する制度を構築することが望ましいが、意思決定者は誰でもよいということではない。十分な知識・技能・判断力・シーダシップなどがない人が現場指揮官になれば悲惨な結末になることは明らかである。従って、緊急時のインシデントに遭遇し、現場指揮官になる可能性がある人々に対しては、予めインシデント・マネジメントや必要な専門知識について研修や訓練を受講させ、救急救命士になるために国家資格が必要な如く、必要に応じて一定の資格取得を義務付ける必要もあるであろう。また、そのマネジメント・システムは標準化し、誰が現場指揮官になったとしても一定のサービス品質が担保されるような仕組みを予め設計しておく必要もある。そしてその標準化されたマネジメント・システムこそがインシデント・コマンド・システム(ICS)であると考えればよい。

初動対応における意思決定」への2件のフィードバック

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