緊急事態条項(被災3県の意見)

“岩手、宮城、福島 初動「現行法で可能」大半  憲法改正の主要テーマである「緊急事態条項」を巡り、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の42自治体に初動対応について聞いたところ、回答した37自治体のうち「条項が必要だと感じた」という回答は1自治体にとどまった。震災を契機に条項新設を求める声が政府内外で高まっていたが、被災自治体の多くは現行の法律や制度で対応できると考えている。”

情報源: 緊急事態条項:被災3県で「必要」1町 – 毎日新聞

多くの自治体が改正しなくてもよい、と考えているのであれば急いで改正する必要はないだろう。改正案の目的が筆者にもいまいちよくわからないが、「緊急事態が宣言されると政府に権限が集中され、個人の権利の強い制約が可能となる。」という毎日新聞の解釈が正しいとすると問題は大きい。不必要に中央権限を大きくしてしまうと、現場の細かい作業にまで総理大臣が口を出す、という5年前の菅総理のような行動が正当化されてしまう。必要なのは現場の権限を強化して、非常時には、現地の判断で普段は法律上できないことを例外的にやってもよい、とすることである。

例えば、医師法上は日本の医師免許を持たない人は医療行為をできないが、非常時には例外的に外国の医師でも医療行為を可とするとか、所有者が不明の場合は、その了解なしに各市町村の判断で瓦礫のなった家や車の撤去をできるようにするとか、などなど。これらは、今でも個別の特例法でできるようになっているものも多いが、災害のたびに一々特例法を作っていては作業に遅れが生じる。そうゆう目的のためになら、何らかの法改正はした方がよいとは思うが、現行の災害対策基本法上の改正などで、各首長による緊急事態宣言の内容を強化するということで担保できるのであればそれでもよいはず。

毎日新聞によると「災害業務を把握していない職員が多く、指揮命令系統も不明確で、円滑な業務遂行に支障をきたした」と回答した自治体が多いという。そうだろうなあ、と思う。だから、現場の権限強化→オールハザード→インシデントマネジメントの標準化→政府による支援機能強化という順序になるのだが。

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オールハザードという考え方(想定外に対処するために)

今回の熊本地震に関する報道でも、5年前と同様、やはり、「想定外だった」というフレーズが目立っている。日本社会は、今も昔も楽観的な想定をおいて、それに対して備えているだけで「安全だ」と自己満足にふける傾向が非常に強い。こんなことをしていてはいつか自然からとんでもないしっぺ返しをくらうだろうということは多くの人が頭の中ではわかっているのだろうが、ではどうしたらよいのだろう、という点に関して提言を述べる学者もマスコミもこれまでのところいなかった。

被害のハード的な予防策(例:建物に筋交いを入れる、堤防を作る、原子力発電所の冷却装置にバックアップバッテリーを設けるなど)を講じたり、発災後の被害を抑えるための道具を開発したりする場合には、確かに想像力を最大限に使って想定(シナリオ)を作る必要がある。しかし、事故や災害が実際に発生した後に対処する方法にまで詳細なシナリオを描いて誰が何をするというように決めてしまうのは、思考の硬直化を招き、シナリオ通り発生しなかった場合に対処が困難になるため大きな問題である。発災後というのは、全くシナリオが予想できないドラマであり、利用可能なあらゆる資源を柔軟に動員して被害を最小限に抑えるしかない。「想定外」の事態が存在するということを想定しておくことが極めて重要などであって、それをせずして「想定外だった」などと言ってはならない。

欧米には「オールハザード」という考え方がある。「ハザード」とは、災害等のインシデントを引き起こす原因となるような危険要因を意味するものであり、地震、津波、原子力災害、台風、テロ、その他、我々の生存を脅かす可能性のある自然現象や事故等を全て含む概念だが、「All Hazard」ということは、種類や規模を問わず、あらゆるハザードに対して、柔軟に対応できるようにするということである(FEMA Guide (CPG 101) 参照)。

「種類や規模を問わず、あらゆる災害に対応できるようにすること」など不可能だという人は多いかもしれない。しかし、ベストエフォートで対応することは可能である。

最初にあえて誤解を恐れずに例えて言えば、これは「トヨタのジャスト・イン・タイム方式で車を作ること」や「オーダーメイドでスーツを作ること」と同じことだ、ということである。車の生産方式には2種類あり、ひとつは多品種少量生産を可能にする「トヨタ方式」、他方は少品種大量生産の「フォード方式」である。「トヨタ方式」では実際にニーズが発生してから最終工程の側から前工程へとさかのぼって必要な部品を必要な量取りに行き組み立てる。このため異なる車種の車でも臨機応変に組み立てることができる。そして完成車の在庫が発生しない。言い換えれば一種の注文生産である。他方の「フォード方式」では、実需ではなく、需要を予測して計画的に生産しようとする。このため、あまり多くの車種は作ることができず、作り過ぎれば完成車の在庫が発生し、作る量が足らなければ機会損失が発生する。スーツの製作も同じ。オーダーメイドスーツの場合、お客様の体の寸法を詳細に測り、お客様の好みの生地や色を十分聞いた上で、世界に一つだけのスーツをお客様のために作る。このため完成品の在庫というものがない。他方、紳士服のナントカみたいなお店では、需要予測に基づき計画的に大量生産されたスーツがあらかじめ並べられている。確かにいろいろな種類のいろいろなサイズのスーツはあるが、100%ピッタリ自分の体や自分の好みにあったものというのはない。また、この方式では、やはり売れ残り、すなわち完成品在庫、または需要を満たさないことによる機会損失が発生する。

これを災害対応に言い換えると「需要を予測する」ということは、「想定を設定する」ということと同義であり、「在庫または機会損失が発生する」ということと「想定外の事態に遭遇する」ということは同義である。つまり、想定外をなくすということは製造業における在庫または機会損失をなくすということと同じということである。従って、製造業が特注品生産するときと同様なマネジメントシステムをインシデントマネジメントに導入すればよいのである。

災害対応とは、確かに目に見えるモノ作りではないが、「被害を最小限に抑え、迅速に復旧するためのサービスの提供」という捉え方をすれば、結局のところ、そうゆう「サービス」を生産するための生産工程であることには変わりない。そして、そのお客様のニーズというのは災害の種類や規模毎に異なり、実に千差万別で事前に予測することが難しい。災害の事前予測、すなわち想定に基づいて災害の種類毎にいくつものテンプレート的なマニュアルを用意しておいたところで、大体、想定外の事態に遭遇し、プロセスが行き詰まるのである。

オーダーメイドにするということは、実需が発生してから必要な資源の組み合わせを考えるということである。そのためには、初めから、全ての災害対応すなわちインシデントマネジメントがオーダーメイドである、という前提でマニュアルなりを作っておく方がよい。「オールハザード対応」=「トヨタのジャスト・イン・タイム方式」=「オーダーメイドのスーツ作り」との所以である。欧米先進国の災害対応の基本的考え方はすでにココに置かれている。ICSというのはそのために標準化された仕組みのことである。

オーダーメイドのスーツは、どのように作られるのだろうか。お客様がお店に行くと、まず、体の寸法を詳細に計測するだろう、そして好みの生地や好みの色も聞かれるだろう、さらにいつ頃までにほしいのか、という納期についても聞かれるだろう。これらの情報をもとにお客様の体に合わせて設計し、お店は生地メーカーに発注し、生地を調達する。生地が届いたら、設計に合わせて生地を切り、ミシンを踏んで製作する。完成したら、お客様に連絡し、試着してもらい、万が一、体に合っていなければお店の責任で作り直すことになる。これらの一連のプロセス自体は、お客様のニーズに関わらず一定であり、普遍的なものである。そして、設計するとか、生地を切るとか、生地を縫うという機能すなわちファンクションも常に必要になり、普遍的である。しかしながら、お客様によって異なるのは、生地の種類や色であり、場合によってはそれを切ったり、縫ったりするために必要な道具も異なってくる。極めて特殊な服で専門的な能力が必要な服だったら、製作に必要な人も異なるかもしれない。すなわち、材料、道具、人など、必要な資源が異なっているのである。但し、製作に使用する生地までも一から製作するとは限らない。幾つかお店側で予め決めておいた生地の中からお客様に選んでもらうだけの場合がほとんどだろう。いちいち生地までも特注していたら、時間も費用もかかり過ぎるからである。使用する道具や人にもあらかじめ幾つかの選択肢が用意されているだろう。情報システムなどの分野では、これを「モジュール化」と呼んでいる。モジュール化をしておけば、材料や道具、人などの資源を選択肢の中から選択するだけなので、特注品でも迅速かつ低コストで製作できる。その意味では、オーダーメイドスーツでも、お客様のニーズを100%満たすものにはならないかもしれないが、それでもお店に並んでいるスーツの満足度が70%位だとすると、オーダーメイドスーツならきっと95%位まで満足度は上がるに違いない。

オールハザード型災害対応の場合も、これと考え方は全く同じである。どんな災害の場合でも普遍的に必要となるプロセスとファンクションのみマニュアル化しておく。対応に必要な資源(救助隊等の人的資源や資機材、燃料等全ての人・物・金・情報を含む。)はモジュール化しておき、選択肢として準備しておく。いざ災害が発生した場合には、各種の資源は現場に急行し、災害現場にてチェックインする。チェックインを済ませた各資源は、出番がくるまで、待機場所(Staging Area)で一旦待機する。現場指揮官は、災害状況をまず調査し、チェックイン済資源の一覧表を睨みながら、問題解決のための計画を立案し、必要な資源に対して、出動を指示する。現場指揮官は、問題が解決されているかどうか常にモニタリングし、計画の修正が必要なら修正し、追加資源が必要なら、政府なり支援団体なりに追加派遣を要請する。

米国などではすでにこの仕組みが確立されている。我が国では、上記のようなプロセスやファンクション(責任や権限を含む。)が明確になっていないから、今回の熊本地震の場合も、現場の詳細な状況が把握されていない、ニーズが明確にならない、などといった初歩的な問題が発生するのではないだろうか。

この仕組みは一朝一夕に実現できるようなものではない。トヨタがジャスト・イン・タイム方式を確立するまでに要したことと同じだけの努力が必要になる。多能工の養成(いくつもの異なる道具を扱えるように訓練すること)、自働化、供給元企業(災害の場合には支援機関と読み替えるといいかもしれない。)との協力関係の確保など、時間のかかる努力が必要である。さらに世論の支持も必要だろう。この仕組みは基本的に逆ピラミッド型の意思決定(現場主義や要請主義と言ってもいい。)を基本に置く。東京に情報や権限を集中させるべきだという意見もあるので、中央集権的な意思決定システムでは機能しないということに関し、幅広いコンセンサスを形成する必要もある(注:現在の災害対策基本法は、一応、「要請主義」が基本になっている)。

参考図書:トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざして・・・ 大野 耐一

 

災害対応はトヨタのジャスト・イン・タイム方式で

地震発生から10日あまりが経つが、テレビ、ラジオ、新聞等で目立つのは「今被災地で必要なものは何か?」という議論である。専門家なる人物がテレビに出てきては、現地ではあれが足らない、これはもういい、こうしたほうがいい、などなどと自由活発な議論をする。それはそれで結構だが、これらはその一部の先生方が現地へ赴き、ごく一部の人たちから見聞きした、非常に断片的な情報に基づくものであって、決してマクロ的な全体を代弁したものではない、という点を我々は認識しておく必要がある。そうゆう人もいるだろうし、そうではない人もいる、ということであり、人のニーズというのはそんなに画一的なものではなく、多様なものである。必要な情報とは、Aの状況の人が全体の何割ぐらい、Bの状況の人が何割ぐらい、Cの状況の人が何割くらいだ、というおよそでもいいから全体を推測した情報だ。こうゆう情報を専門家なら統計手法を駆使して迅速に発表してもらいたい。現地で1人2人の話を聞いてその話をテレビで代弁することぐらいなら誰でもできる。マーケティングの手法を駆使してもらいたいものである。

そして、このような需要予測というものがほんとうに正確にできるのであれば、政府のプッシュ型支援なるもの、言い換えれば政府による計画的配分で必要十分ということになるのだが、正確な需要予測など災害という大混乱の中では実際には非常に難しいということは容易に推測できる。ではどうすべきか。それが、ここで述べるジャス・イン・タイム方式、すなわち、トヨタのカンバン方式を採用するということである。後工程から前工程に対する要請主義、プル型といってもいい。

資源配分は「最適に配分する」ことが重要なのであって不足してはいけないが、多すぎてもいけない。現地ではすでに食料品などの支援物資は避難所が置き場に困るほど届いているらしいが、このように余分な物資が避難所を占有してしまうと、その分、人の避難スペースが減少する可能性だってあるだろう。これらは経営学でいうところの「在庫」であり、在庫とは無駄な費用である。これらはスペースも無駄にするし、お金も無駄にする。余計な物資の運搬に運用業者等の人員が割かれれば、これらの人員が他の必要な物品の運搬に割り当てることができたであろう時間(これは機会費用「Opportunity Cost」であってやはり一種の「費用」である。)をも浪費する。このように我々は災害時であっても常に最適配分を意識しなければならない。

上記の議論はおおむね食料や住居、生活物品などのような物的資源の分配に関するものだが、災害が発生してから収束するまでの様々な問題を解決するために現場はさまざまな資源を必要とする。資源は、目に見える物品や燃料などの物的資源だけでない。現場に入る自衛隊や消防のような救助隊の人も資源である。人的資源(Human Resource)である。物の購入等に必要なお金も資源であるし、人や物の割当を決めるために必要な情報も資源である。「人」「物」「金」「情報」これらは全て経営学で経営資源と呼ばれる「資源」である。これらの資源を目的を達成するために如何にして効果的に割り当てるか、これを決定し、その効果を継続的にモニタリングして、必要に応じて継続的に改善していくための仕組みがマネジメント・システムと呼ばれるところのものである。従って、まず、必要になってくるのは、決定したり、モニタリングしたり、改善するための「プロセス」である。どんなマネジメントシステムでもまずプロセスをきちんと定義する。もっとも単純化された基本的なプロセスはPDCAサイクル(PLAN-DO-CHECK-ACTION)である。実際には目的に応じてこれらのプロセスが更に細分化されて定義されている。

そして、このプロセスというフローの中で目的の達成に必要な機能(ファンクション)を決め、それらの各ファンクションに対して、人、物、金、情報といった経営資源を割り当ててていく。今回の地震では市庁舎などの防災拠点が地震で倒壊の危機にさらされ使えなくなってしまった、というニュースがあった。これは、防災拠点( 欧米では「EOC(Emergency Operation Center)」と呼ばれている)というファンクションに市庁舎という資源を割り当てていたものだが、災害のマネジメントでは、あるファンクションに特定の資源のみを固定的に割り振っておくことは望ましくない。日本の防災計画では、往々にして特定の資源を固定的にあるファンクションに紐づけている例が多いが、このようなことをすると大概予期せぬ事態に遭遇して身動きがとれなくなる。人という人的資源の場合も同様である。ある特定の人の仕事(つまりファンクションである)を固定的に防災計画の中で規定してしまうと、その人が何らかの事情でいなくなるとそのファンクションが提供されなくなる。必要なのはファンクションであって、特定の人や物ではない。災害対応の指揮官とてもケースバイケースである。米国などでは最初に現場に到着した人が指揮官になるとだけ決まっており、「誰が指揮官をする」とは決められていない。決めることなどできない。

ファンクションと資源の関係は、防災計画では柔軟に考えておかなければならない。実際には、災害が発生してから資源の割り当てを考えざるえない場合がほとんどである。事前に固定的な資源配分を防災計画で決めてしまうことは望ましくない。例示的な意味合いに留めておくべきだろう。

このようにファンクションに応じて資源を割り当てていく方法を「ファンクショナル・アプローチ」という(詳細:「危機管理におけるファンクショナル・アプローチ」参照)。

災害が起きる前にこのファンクションを定義し、日本国中のみんなが共通理解をもっておくことができれば、臨機応変に組織が編成されたとしても、各自の役割をすぐに理解することができるし、代替資源を供給することも容易になるだろう。また、プロセスがきちんと定義されていれば混乱する災害の中でも必要な作業を漏れなく、ダブりなく進めていくことができるだろう。

そして、この仕組みを効果的に動かすためには、各プロセスの中で流れる情報の定型フォーマット(例:米国のICS各様式)を決めておくこと及び各資源のチェックインを管理すること(米国では救助隊や支援物資といったあらゆる資源をStaging Areaという場所にチェックインさせて一旦プールし、そこから必要なだけピックアップしていく)が極めて重要になる。これは、言い換えると災害対応というマネジメントシステムをトヨタのカンバン方式(Just In Time(JIT)方式)のようにするということに他ならない。災害対応版サプライ・チェーン・マネジメント(SCM)と言っても過言ではない。トヨタのカンバン方式では、カンバンという定型フォームを各製造工程(プロセス)の中で行き来させることによって、擬似的な注文生産のような工程を構築し、在庫を極限までなくすことに成功して、世界が注目したマネジメント・システムである。筆者が10年前米国のGWUで米国流危機管理を学んでいたとき、あるFEMA OBの教授が、「Just-in-Time !」「Just-in-Time !」と強調していたことを思い出す。あの先生は筆者が日本人だということ見て、「これはおまえの国から学んだことなんだぞ」と言いたかったのだろう。しかし、我が国ではモノづくりでこそJITが根付いたかもしれないが、それを災害対応に応用するなどどいうことは、思いもよらないことだろう。そんなこと言い出した途端に「災害対応と自動車の製造を一緒にするな!」と言われそうだ。よく考えてみればどちらもマネジメント・システムの問題であり、目的やアウトプットが異なるだけであって、自動車のドアやエンジンなどの部品の代わりに、First Responder(自衛隊・消防・警察等)、DMAT、NPO、ボランティアや支援物資という部品を投入して、一定のアウトプットを産出するための工程に他ならないのだが(災害は千差万別なのでまさに特注の注文生産工程が必要だ)。【「人間は部品ではない!」と怒る人も恐らくいるだろう。しかし、経営科学という観点では、部品=資源であり、人=人的資源=資源である。従って、部品=人である。この点を割り切って考えていかないと仕組みの改善はできない。】

なお、最近の災害ボランティアは、現地のボランティア受付センター(米国のStaging Areaに相当する)で登録後(要するにチェックインである)、ニーズがあるまで待機させ、必要に応じてプールされたボランティアを必要としている家庭などに派遣するという手法をとっているが、これはまさにトヨタのカンバン方式でいえば、後工程が前工程に必要なときに必要なだけ必要な部品を取りにいっているのと同じことである。20年前の阪神大震災やナホトカ号油流出事故のときは、ボランティアの管理ができていなかったため、ウロウロしていたボランティアがかえって現場の邪魔になっていたことを反省して、現在のような仕組みになったのだろう。言い換えれば、ボランティア団体の方が、一歩先にいっており、政府部門の方がまだ改善されていないということになる。

以上述べたことは災害対応(インシデントマネジメント)を標準化するということに他ならず、我が国の災害対応の仕組みの中で決定的に欠けている部分であり、今回の地震の場合でも全ての問題は「最適な資源配分をもたらすための仕組み」の欠如という課題に帰結する。

マネジメントシステムが標準化されていれば様々な資源配分がもっとスムーズに、かつ、最適に実施されるはずである。災害対応について考える前にトヨタのカンバン方式について学んでみてはどうだろうか。

参考図書:トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざして・・・ 大野 耐一

 

~ICSとはトヨタのジャスト・イン・タイム方式を災害対応に応用したものである~

 

 

政府が屋内退避を求めた結果

情報源: 熊本地震 | 衆議院議員 河野太郎公式サイト

上記は、国家公安委員長の公式ブログ。この中に次のメモがある。

「午前11時15分、官邸の総理執務室でここまでの情報を集約して総理に報告し、総理からは屋外に避難している人を確実に今日中に屋内に収容せよという指示がありました。」

総理大臣が、このような細かい指示を出したとすれば、これは中央がやってはいけないマイクロマネジメント。実際、この指示を聞いた熊本県知事も「現場を知らぬ」と怒ったとの話。

下記のTogetherの内容が事実だとすると、責任は重大ということになる。

政府が屋内退避を求めた結果

「きのう帰宅途中の車のラジオを聞いてたら、今晩は外ではなく家の中ですごせと災害専門を名乗る職員が執拗にゆってた。寒さをしのげということだった。絶対という言葉まで使ったと思う。ひとの行動を指図しすぎだと思った。そして0115にM7.3地震が起こった。家に潰されて死んだ人が少なくない。」

このように現場から遠く離れたところから強制的な命令が発せられると現場は悲惨なことになるものである。米国などの先進国では、常に最高指揮官は、災害現場を自分の目で見たり、肌で感じたりできる位置にいる人である。現場のトップ、すなわち現場指揮官が総理大臣よりも災害時には偉い、ということにしなければならない。災害時には逆ピラミッド型組織である。

参考(P.F.ドラッカー「マネジメント 基本と原則」 P192):

意思決定は常に、可能な限り低いレベル、行動に近いところで行う必要がある(第一原則)。同時に意思決定は、それによって影響を受ける活動全体を見通せるだけの高いレベルで行う必要がある(第二原則)。

今回は、5年前の菅内閣に比べれば全般的に遥かにマシという印象は持っているが、細部を検証すれば、上記のような良くないマネジメントも恐らく多数あるに違いない。検証が必要である。

 

震央分布図(過去30日間)

震度1以上を観測した地震の震央を地図上にプロット。どのエリアで地震が頻発しているかを見ることができます。

あまり報道されていませんが、4月1日にも三重県南方沖でM6.1の地震が発生しています。

情報源: 震央分布図(過去30日間・日本全体) – 日本気象協会 tenki.jp

国のプッシュ型支援は機能するのか?

■熊本地震 国が被災地に「90万食を送る」と発表

情報源: 「90万食を送る」 国のプッシュ型支援、現場の状況は (朝日新聞デジタル)

支援物資のニーズと供給側のマッチング、災害が起きると毎回発生している問題だ。初期の段階では、「支援物資が来ない」ということが問題となり、第二段階では「必要なものが来ない」ということが問題になる。多くの場合、早い段階から大量の支援物資が送られているにも関わらず、必要なところに必要なものが必要なタイミングで届かない。県には県で仕分けの人手が足らないという言い訳があり、だからといって国がプッシュ型と称して県を通さずに避難所に直接送ろうとすると、ミスマッチングの問題が大きくなる。

一方で、避難所がフェイスブック等のSNSで「支援物資が来ない!」と叫ぶと、全国の支援者から大量の支援物資が直接届けられたり、テレビで紹介された避難所に支援物資が集中し、それ以外のマイナーな自主避難所みたいなところには全く支援物資が来ない、という問題も指摘されている。

これは毎回指摘されている古くて新しい問題であり、容易ではない問題である。しかし、よく考えてみるとこれは経済学における「分配」の問題であり、経営学(マネジメント・サイエンス)における「マーケティング」の問題である。

経済学における分配システムには、大きく2つある。ひとつは、「市場経済」、もうひとつは「計画経済」である。市場経済とは、情報を広く皆で共有すれば、必要なところに必要なものが自然に届くようになりますよ、そして必要な量や質は「価格」という「神の見えざる手」(アダム・スミス)が調整してくれますよ、という考え方である。他方、計画経済は、神の見えざる手などというものは信用できないから、優秀なテクノクラート(官僚)のところに情報を集めて、その優秀なテクノクラートが必要に応じて計画的に分配した方がうまくいきますよ、という考え方である。計画経済を採用したのは昔のソ連だが、そのソ連は崩壊し、市場経済に移行したことからも、ソ連のような中央集権型の計画経済はうまくいかないのだな、ということが推測される。言い換えると、そんな優秀なテクノクラート(官僚)などこの世にいませんよ、ということだ。他方、市場経済もそれほど完璧ではない。「市場の失敗」というものの存在である。警察・消防・軍隊のような「公共財」は市場を通じてでは供給されないし、公害のような負の財が供給されることを止めることもできない。だから、政府というものが依然として必要とされ、官僚が一定の役割を果たしている。言い換えると、我々の政府は、市場経済下において部分的に計画経済を実施しているのである。

今回のような大災害時における支援物資の分配のためには、どちらの分配システムによるべきだろうか。市場か、計画か。まず第一に言えることは、東京の霞が関の政府に情報を集めて、分配しようとしても絶対にうまくいかないということだ。そんなことができる優秀なテクノクラート(官僚)は、我が国には存在しない。1年か2年という超短期の人事異動でゴロゴロ変わる霞が関の役人に時間との勝負になる災害マネジメントはできない。今回は安倍首相が「現場主義を徹底し、ニーズを把握して支援せよ。」などと指示を出していたが、その考え方自体は正しいし、評価できるが、未だにニーズなど把握できていなし、できるわけがない。

では、市場に任せて、政府は何もせずにほっておけば、必要なものが必要なところに自然に供給されるか、というとそうゆうことにもならないだろう。それは、「情報」がないからである。しかし、情報さえあれば、お互いの助け合いの精神の中でかなりのものが供給される可能性はある。ある避難所がフェイスブックで「支援物資が来ない!」と叫んだらあっという間にあちこちから大量の支援物資が届いたという例からわかるように多くの人がこうゆう大災害時には何かしたいと思うものだ。逆にいうとどこで何が必要とされているかという情報さえあれば、民間のこのような善意による財も、官が集めた緊急用物資も同じプラットフォームの上で提供すればよいことになり、お互いの財の不足を補うことができ、かつ、重複等を省くこともできるため効果的なはずである。官に情報を独占させてもうまくいかないが、情報が民にあり、その情報を官と民が共有することができれば、効率的な配分は可能になる。

問題は、情報をどのように幅広く、効果的に提供するかであろう。現在の情報は、分散しており、断片的で偏っている。ある避難所がフェイスブックで「支援物資が来ない!」と叫ぶのも情報、あるテレビ局が番組の中で特定の避難所の窮状を報道するのも情報、そして、避難所と県の間でやりとりされているであろうメールや電話、県と国との間のメールや電話も情報である。これらの情報をオープンにし、整理することができれば、多くの問題が解決できるだろう。

情報をどのように集めるか。これも、結構、古くて新しい科学であるマーケティングに行き着く。マーケティングをセールスと混同している人も多いが、実際には、これが何を意味するかは学者によって定義が異なる。ピーター・ドラッカーなどは「顧客を知ること」と定義している。災害等の場合は、この顧客を被災者と読み替えればよい。マーケティングのツールも進化が著しいが、最近ではITを使うのが常識である。グーグルのような検索サイトも、フェイスブックのようなSNSも、テレビやラジオも、EメールもFAXも電話も、結局のところ、何かを必要としている人とそれを供給したい人をマッチングするためのマーケティングツールである。問題は、これらのツールが分散し過ぎており、集約されていないため、災害のような緊急事態に必要な物資の需要と供給がうまくマッチングされていないということにつきるのだろう。

では、支援要請ドットコムとでも称する統合マッチングサイトを政府が作ればよいのか。私は、それではうまくいかないと思う。歴史が証明しているように政府が作るものは大抵よくない。また巨額の税金の無題使いとなり、ITゼネコンが儲かるだけになるだろう。

私は、そうゆうサイトを民間がクラウドファンディングなどにより寄付を集めて構築し、非政府部門で運用していくべきだと考える。同じようなサイトが10個も20個も乱立するようだと、結局、元の木阿弥に戻ってしまうので問題だが、2つか3つ現れるくらいな競争原理が働き、継続的な改善が進むためよいのではないだろうか。

東日本大震災のときは、グーグルが簡単な安否確認サイトを構築し、大変役に立ったが、これもグーグルあたりが構築してくれれば、一瞬にして開発できるような代物ではある。例えば、検索画面の最上部に支援物資マッチングサイトへのリンクを張る。支援が必要な人は、そのサイトへいって、何が、どの位の量、いつまでにほしいのか、自分はどこの何者なのか、を書き込む。グーグルなら、書き込まれた場所までグーグル・マップ上に表示できるだろう。供給側は、それらの一覧表を見て、何をどの位の量、いつ頃までに届けるのか、自分はどこの何者なのか、を書き込む。そうすれば、重複も回避でき、漏れなく、必要なものを必要なところへとどけることが可能になる。

書き込まれた内容が本当なのかという信用性の問題は生じる。支援物資は無償で分配されるため、必要以上に要求したり、これに乗じて必要もないのに要求する人も現れるだろう。しかし、災害時にはそれも承知でやるしかない。

 

 

地震予知は可能という意見

地震ムラの存在が地震予知を困難にしているのであり、地震学からもう少し周辺科学に視野を広げれば地震予知はある程度可能という意見。傾聴に値すると思う。

 

時事ドットコム

情報源: 上田誠也東大名誉教授に聞く:時事ドットコム