トリアージの本質

適切な日本語が存在しない仏語を語源とする外来語である。「患者の重症度に基づいて、治療の優先度を決定して選別を行うこと」(Wikipediaより)などと説明されているため、災害医療の専門用語だと勘違いしている人が多いが、これは決して医療分野に限った用語ではなく、欧米では捜索救助(Search & Rescue)や事業継続マネジメント(BCM)でも使用される概念である。正確に定義すると「災害などのため利用可能な資源と時間が限られている中で、救助を要する資源(注:人とは限らない。物やサービスも含まれる。)が複数ある場合に、最大多数を救助するために救助の優先順位を決定すること。」である。

メディアでも時々紹介される医療トリアージでは、災害などで医療資源に限りがあるにも関わらず、多くの患者がいる場合に、レベル0(死亡者または蘇生不可能者)には黒、レベルI(要緊急治療者)には赤、レベルⅡ(準要緊急治療者)には黄、レベルⅢ(待機可能者)には緑のタグをつけ、赤⇒黄⇒緑⇒黒の順に優先的に治療を実施する。タグ付けの判断は基本的には訓練された医療従事者が、標準化された分類基準(START法)に基いて行う。緊急に治療をすれば助かる可能性が高い人を優先的に治療し、怪我はしているもののすぐに治療しなくても直ちに生命に危険があるような状態ではない人の治療は後回しにするということである。そして、すでに死亡した者や助かる見込みのない者への対応は最後とする。ここで難しいのは黒の判断である。

災害時などのように提供可能な医療資源が限定される中で、大量の怪我人などが発生した場合には、平常時のように先着順で治療にあたることは合理的ではなく、救える命が少なくなる。例えば、次のような場合を仮定する。残念なことに救急救命室に医者は1人しかいない。

「そこへ6人の患者がやってくる。彼らはひどい路面電車の事故に遭ったんだ。うち5人は中程度の怪我をしている。1人は重症だ。重症患者に一日中かかりきりで手当てをすれば助かるが、その場合、5人は死ぬ。逆に中程度の5人の手当てをすれば5人は助かるが、その間に重症患者は亡くなる。医者として5人を助けるべきか? それとも1人を助けるべきか?」(マイケル・サンデル『ハーバード白熱教室講義録(上)』早川書房、18ページ)

これは、あの有名なハーバード大学マイケル・サンデル教授の講義の一コマなのだが、1人を助けると答えた学生はほとんどいなかった。実は、これが典型的なトリアージである。このような場合には、5人の治療を優先して実施することに異論を唱える人は少いだろう。この例でトリアージ・タグをつける場合、難しい決断になるが、重症患者である1人には黒タグをつけなければならない。黒タグはすでに死亡が確認された患者につけるものと思われがちだが、実はそうではない。前掲したWikipediaにも次のように記されている。

黒とは正しくは、「何もしないと死亡することが予測されるが、その場の医療能力と全傷病者状態により、救命行為(搬送も含めて)を行うことが、結果として全体の不利益になると判断される傷病者」のことである。しかし、「その場での救命の可能性がない傷病者」と誤解される事が多い。たとえば、心室細動で心肺停止状態の傷病病者を想定する。初期から心肺蘇生法を行えば、救命の可能性は十分ある。しかし、その心肺蘇生には数人かつ10分以上必要である。その傷病者にそれだけの医療能力を割り当てることが可能ならば赤タグとなり、不可能ならば黒タグとなる。このように優先度分類は相対的なものである。

マイケル・サンデル氏の講義は、上記の6人の患者の例のみならず、様々なバリエーションで議論が促される。講義冒頭の質問は「君は路面電車の運転手で、時速100Kmで走っている。行く手に5人の労働者がいることに気がついたがブレーキが利かない。そのとき、脇に逸れる待避線があることに気がつく。しかし、そこにも働いている人が1人いる。ブレーキは利かないがハンドルは利く。ハンドルを切って1人を殺して5人を助けるか否か?」(上掲書、13ページ)という問いであった。この例でも、1人を殺してでも5人を助けると答えた学生が多かった。同氏は、次に「君は電車の線路の上に掛かる橋にいる。電車が走ってくるのが見えたが、線路の先には5人の労働者がいる。ブレーキが利かないように見えた。そこに自分の隣に橋から身を乗り出しているものすごい太った1人の男がいることに気づく。君がこの男を突き落とせば彼は電車の前に落ちる。彼は死ぬが、5人を助けることができる。君は彼を橋から突き落とすか?」(上掲書、15ページ)と問う。この例だと、彼を突き落として5人を助けると答える学生は圧倒的に少なくなった。何が2つの例で違うのか? 最初に述べた例は行為の帰結(帰結論)に重きを置き、後の例は行為の本質(定言論)に重きが置かれた結果、異なる結論に行き着いたのである。帰結論はベンサム、定言論はカントが有名だが、そこまでいくと哲学の世界に深入りし過ぎてしまうので、これ以上、ここで論ずることはしない。しかし、トリアージという考え方は、ベンサムなどの帰結主義的道徳原理、言い換えれば、「最大多数の最大幸福」を追求する功利主義に基づくものだと言えるだろう。行為の本質に大きな違いがない場合には大きな問題にならないが、それが異なる場合は、社会的コンセンサスを得るのが難しくなる。

現実的には、人としての良心や周囲の反応などのため、必要な資源が不足していることを理由に重傷者に黒タグをつけてしまうのは非常に難しいだろう。しかし、その重傷者にかかりっきりになることによって、他の大勢が救えなくなるという事態は実際に発生しうることである。このような場合には、黒タグではなく、何か別の色、たとえば紫とか濃い赤などをつけ、十分な医療資源が確保できた時点で治療にあたるなどといった仕組み必要だと考える。

さて、このトリアージだが、災害医療(「メディカル・トリアージ」と呼ばれる。)以外の状況でも必要になる。例えば捜索救助(Search & Rescue)である。

今、10人で冬のアルプスに登山しているパーティーがいたとする。そこに突然雪崩が発生し、8人が雪崩に飲まれたが、2人は無事だった。無事だった2人は、雪崩に埋まった8人をどのような順序で救助すべきか、という意思決定の問題もレスキュー・トリアージと呼ばれるトリアージの一種である。

埋まった8人とも雪崩ビーコンを身につけてはいるが、見渡す限り真っ白で、8人の手がかりが全くない場合、無事だった2人が最初にすべきは、まず、山岳救助隊に連絡し、救助隊を派遣してもらうことである。2人で8人を救助するのは難しい。どうしても救助隊に来てもらう必要があるだろう。しかし、ただ、救助隊の到着を待っているだけではいけない。雪崩に埋もれてから30分もすれば死亡する確率が非常に高くなる。2人で協力し、できるだけ早く生存者を見つけなければならない。2人は手分けしてビーコン受信機を使って埋まっている8人から発信される電波の探知を始めた。まもなく、電波をキャッチし、8人のうちの1人の埋没位置を特定することができた。このとき、直ちに掘り出しを開始すべきか否か? この場合、埋没の深さによって答えは異なる(注:雪崩ビーコンでは埋没深度もある程度わかる。)。埋没深度が5メートルだった場合には2人の力で掘り出すのは時間がかかりすぎる。そこで、マークだけして、次の人の捜索に向かい、その人の掘り出しは、後からかけつけてくる山岳救助隊に任せるすべきだろう。しかし、それが50センチくらいの浅いところだったらどうか。その場合、2人でもすぐに掘り出せるので、直ちに掘り出しを開始し、救助してしまった方がよい。その救助された人が元気なら、救助された人にも、捜索活動を手伝ってもらうことができる。埋没地域全体をまずビーコン捜索して8人全員の埋没地点をマーキングし、掘り出しの優先順位をトリアージして確定してから掘り出しを開始すべきとの意見もあるかもしれない。しかし、埋没したと思われる地域が広く、深い雪中をズボズボと歩きながら捜索するには時間がかかり過ぎるような場合には、体の一部が表層に出ている埋没者や掘り出し可能深度の埋没者を発見次第、掘り出していくという意思決定も立派なトリアージだろう。なお、上記の例は8人埋没、2人無事としたが、この数字が逆であれば、当然ならがトリアージの意思決定は異なったものになる。

どこを探すか、という問題もトリアージである。これは、リモート・トリアージとも呼ばれる。雪崩インシデントの場合、例えば、雪崩が流れた先に大きな崖があったとしよう。その場合、その崖の下にまで遭難者が流されているとしたら、まず、生存の可能性はない。従って、崖の下は捜索区域から除外し、埋まっているとしても生存している可能性が高い地域から捜索していかなければならない。目撃者の証言や残留物などの手がかりがある場合にはその周辺に埋もれている確率が高いので、そこから優先的に捜索するのが適切だろう。

船舶遭難などの場合も、最後に位置通報があった地点を中心に、船舶の大きさの他、風向、風力、海流などの気象条件や経過時間などを入力し、コンピューターで遭難船舶の所在公算位置を計算し、そこを起点として捜索区域を設定する。船舶の捜索救助(SAR)の分野では、これをトリアージとは呼んでいなかったが、これもリモート・トリアージの一種と言えるだろう。

その他、ヘリコプターなどの輸送資源が少いにも関わらず、多くの怪我人がいる場合に、彼らをどのような優先順位で病院に搬送するのかという意思決定を「搬出トリアージ」、避難所として使える施設が少いにも関わらず、住居を失った被災者が多数いる場合に、どのような優先順位で被災者を避難所に入れるのかという意思決定を「避難所トリアージ」と呼ぶこともある。

ここまでの事例は、いずれも人命、言い換えれば人的資源に関係するものだったが、トリアージの概念は人的資源以外の物やサービス、事業などの経営資源に対してインシデントが発生し、それへの対応及び復旧が必要な場合にも適用できる。言い換えれば、事業継続マネジメント(BCM)の場合である。今、ある企業で商品Aと商品Bの製造ラインが大災害で被災して製造できなくなってしまったとする。そしてその復旧のために投入できる経営資源はあまり多くない。この場合、どちらの製造ラインを優先的に復旧すべきか。商品Aはこの企業の主力製品で売上の8割を占めているが、商品Bは不人気な商品で売上の2割を占めるに過ぎない場合、商品Aのラインを優先的に復旧するという意思決定には誰も反対しないだろう。しかし、商品AとBが共に売上の5割を占める甲乙つけがたい商品である場合はどうか。この場合、復旧にそれほど時間がかからない方を優先的に復旧すべきである。その方が企業としての損失は小さくなる。では、商品AとBが共に売上の5割を占めるもので、かつ、どちらの復旧に要する時間も同じだが、商品Aについては競合他社の商品Zで代替可能なものである場合はどうか。この場合、商品Aのラインの復旧が遅れるとマーケットシェアが商品Zによって奪われてしまうので商品Aの復旧を優先すべきである。なお、社員などの人的資源と製造ラインなどの物理的資源の2つが天秤にかけられるとしたら、社員の人命救助及び安全確保が最優先になるのは言うまでもない。人的資源は、一度失われたら復旧不可能な最も重要な経営資源であるためである。このような事業継続上の優先順位付けをトリアージと呼ぶ人はまだいないようだが、私は、これを「事業継続トリアージ」と呼ぶことにする。

 

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トリアージの本質」への1件のフィードバック

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