政府の危機管理組織の在り方について(最終報告)

http://www.bousai.go.jp/kaigirep/kaigou/saishu/index.html

上記の副大臣会合報告書だが、主たる目的は防災庁、言い換えれば、日本版FEMAは当面作らないという結論を出すことにあるのだろう。この点はいい。しかし、この報告書が出されてから、現在に至るまでの状況を見ていると政府のサボりが目立ち始めているような気がしてならない。いくつかの点について指摘したい。

1.「調整権限」

この報告書では、「調整権限」という表現を多用している。しかし、何か勘違いしていないだろうか。「調整」とは、英語でいう「Coordination」の和訳であり、幾つかの国際条約の邦訳としても法的に定着している法律用語でもある。しかし、「調整」は「関係者の合意によって意思決定する行為」である。「相手の合意がない場合でも意思決定できる行為」は「指揮統制」や「指示」または「命令」である。相手との合意を見出す行為に権限が必要だという考え方がそもそもおかしい。調整は任意に誰が誰とでも基本的に行うことができる行為であり、そこに権限などは必要ない。指揮統制や命令ならば当然何らかの権限が必要であるが、調整に権限が必要だと考えているのはどのような理由によるものなのか。「米国FEMAには強力な調整権限があり・・・」(この認識は誤りである。)のような書き方をしているので、その辺りに理由があるのかもしれないが、調整に強力も弱いもない。調整は調整であり、それに強弱はない。(⇒日本版FEMAには多くの誤解がある

日本の役所には、「総務課」とか「企画課」などという名称の、主として関係課の調整を所掌事務としている組織がある。概ね、この種の課の仕事は、窓口業務がメインであり、書類を右から左へ転がしているだけなのだが、緊急時における日本的な「調整」を主要業務とする新しい役所が出来たらどうなるか。書類の右から左への転送が増え、伝言ゲームが増え、経済学でいう「エージェンシーコスト(代理人コスト)」が増え、かえって意思決定が遅れるだけだろう。

「調整」や「指揮統制」という語を混乱して使用している学者も多い。この二つは根本的に違うものであり、調整は「場所」や「委員会」で行われるよう義務付けたり、レイゾンオフィサーを指定させることはできても、誰かに権限がないと実施できないというようなものではない。東大法学部を出た優秀な政府の事務官までもがトンチンカンな混乱はしてほしくない。

 

2.省庁横断的な対応(「縦割りではない対応」)

この報告書、これまでの政府による対応が「縦割り」だったということを認めたという意味では革命的であると思う。この縦割りを排除するために「日本版FEMA」、「現地調整」、「オールハザード(災害対応の標準化)」などの視点で議論されている。

①日本版FEMA

この報告書では「現段階において、政府における統一的な危機管理対応官庁の創設等中央省庁レベルでの抜本的な組織体制の見直しを行うべき積極的な必要性は、直ちには見出し がたい。」として、直ちに日本版FEMAを作る必要はないとしている。この認識は正しい。日本版FEMAについては、一部の勉強不足の学者や事実関係をよく認識していないマスコミが騒いでいるだけで、巨大な組織を作れば災害対応がよくなるという理由は全くない。エージェンシーコストが増え、意思決定が遅れるるだけである。日本の場合、今でも身動きがとれないほど政府部門が巨大すぎる状況であり、これを更に巨大化するような組織を作っても何もよくならない。

②現地調整

最近では「現地合同指揮本部」が関係省間で設立され、その場で調整されることが多くなった。ひと昔前にはそれすらなかったが、一定の前進であると考えられる。

③オールハザード(災害対応の標準化)

「我が国において発生が懸念される様々な災害・事故等はそれぞれ異なる特徴を有 しており、対応に必要とされる専門性も異なる一方で、災害対応について共通する 部分の標準化は重要であるところ、災害対応の標準化については、中央防災会議の 防災対策実行会議の下に設置することとした災害対策標準化推進 WG や関係府省庁 の ICS 実動省庁 WG で検討を行っている。 」とあるが、実際には何年か前に、次の報告書を出してから、次のステップへと前進しようとしている痕跡が見られない。

http://www.bousai.go.jp/kaigirep/kentokai/kentokaigi/

この報告書に基づき、本来は、関係省庁間で更に検討を進めなければならないはずだが、「報告書出したからもうおしまい」と思っているのではないだろうか。実際には、現場における標準化されたマネジメントシステムの存在が効率的な震源配分や意思決定のための最も強力な武器となる。この点をおろそかにするともう一発巨大な災害をくらったときに非常に大きなツケを払わされることになる。

 

3.短期人事異動の改善

「現在の我が国政府における職員配置を見ると、多くの職員が2年程度の期間で次 のポストに異動することが通例となっている。特に、内閣官房(事態対処・危機管 理担当)及び内閣府(防災担当)については、職員数が必ずしも多くない中、他省 庁からの出向者が職員の多くを占めるため、その傾向が顕著であり、防災・危機管 理に関する専門性が組織として蓄積されにくい状況になっている。 」と問題は認識しているようだが、だから、どう改善していくかが全く書かれていない。この巨大な素人集団に少しでもプロフェッショナルを増やす努力をしなければ、ツケが大きくなるということぐらい子供でもイメージできる。

 

震災から5年も経つと、もうホトボリが覚めたような感じになり、政府役人もサボりたくなるのかもしれない。

にほんブログ村 政治ブログ 政策研究・政策提言へ
にほんブログ村


政策研究・提言 ブログランキングへ

 

東京オリンピックの警備と防災

リオデジャネイロオリンピックが終わった。過去最高のメダル数だったし、非常に多くの感動があった。最後の閉会式で土管の下から湧き出てきた安倍総理大臣だけは余計だったが、ドラえもんを使ったアニメーションも非常によかったように思う。

リオでは選手村の水回りの不良が相次ぎ、卓球の福原愛の部屋のトイレが故障し、言ってもなかなか修理に来ないので自分で直してしまった、というエピソードは有名だが、東京でやる限り、このような間の抜けた品質不良のサービスが提供される可能性はまずない。町中で選手が泥棒に遭ったり、殴られたりという事件がリオでは多発したようだが、これも日本では発生しないだろう。日本は、未だに犯罪に対する安全性や物やサービスにおける品質の面では、世界一だろうと思う。

ただし、東京オリンピック中に大規模災害やテロなどの大規模インシデントが発生した場合に、関係機関が横のつながりを密にして、効率的なマネジメントを実施できるか、という視点で見ると、非常に心もとない。この点では制度的に見て、先進国中、最低最悪の期待値とならざる得ない。

東京オリンピックともなれば、警視庁が全国の警察から応援を受けて、間違いなく、厳重な警備を大規模に実施するだろう。しかし、リオでもそうだったが、東京でも、恐らく、非常に多くのボランティアが様々な面で参加するはずである。自衛隊や消防などもそれぞれの分野で警備や防災などに従事するだろう。更にセコムやALSOK等の全国の警備会社約9000社も東京オリンピックの警備で協力するという。このように、関係者や関係機関が多くなると、ひとたび、大事件や大災害が発生した場合、その意思決定が遅延・混乱し、現場が大混乱する、というのが日本の歴史上の事実である。東日本大震災や熊本地震の場合、被害者は基本的に日本人だけだったが、東京オリンピックの最中にこんなことが起きれば、被害者は全世界のアスリートや観光客になり、そのステークホルダーは全世界に及ぶ。国内関係機関のみならず、全世界のステークホルダーを融合的にマネジメントして、インシデントに対応する能力は、今のところ、日本にはない。

唯一、これを可能にする方法は、全関係機関が標準化されたインシデント・マネジメントを採用し、発生したインシデントに対して、柔軟にその組織規模や構成機関を変更して、対応にあたることである。インシデント・マネジメントを標準化するということは、それほど難しいことではない。緊急時に編成する組織の機能や用語、組織の編成方法、意思決定のプロセスや実施計画書のテンプレートなどを事前に決めて統一マニュアルを策定し、関係機関がそれを熟知しておけばよいのである。このような標準化によって組織化コストが削減され、調整及び意思決定が改善され、資源の最適配分も達成されやすくなる。

米国のインシデント・コマンド・システム(ICS)も、オリンピック警備などですでに採用されており、有効に活用されている。ICSは、災害などのインシデントが発生した後に編成される現場組織に適用されるものと思われがちだが、それに限定されることはない。警備体制というのは、何かの犯罪インシデントの発生に備えての事前体制のことだが、ひとたび、実際にテロなどのインシデントが発生した場合には、資源を追加投入し、対応組織を拡大していかなければならない。このような拡大をシステマチックに行うための仕組みとして、そもそもICSのような標準化されたシステムは存在しているのであり、何も発生していない時点では、会場を巡回している警備員とその指揮官が小規模な組織の中で運用されるだけのことである。

最近、アメリカのICSの真似事をする民間団体も多少あるし、政府でも、統一用語、統一マニュアルを作ろうとしている痕跡は多少ある。ただし、まだまだ、標準化のメリットをよく理解している人は皆無に近く、先は遠い。東京オリンピックで日本の醜態をさらけ出さなくても済むように頑張ってもらいたいものである。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政策研究・政策提言へ
にほんブログ村


政策研究・提言 ブログランキングへ

 

 

保健所のICS

災害対応の業務における問題
・市役所と保健所でマニュアルの内容が異なる。 (方針が異なって調整されていない。)
・情報が来ない。
・連絡を取ることもままならない。
・上からの指示が来ない。
・自分たちの役割がわからない。
・市でも保健所でも同じ内容の会議をしている。
・ここの責任者は誰だ? ・A病院はいっぱいなのに、B病院は患者がいない。 (資源の活用アンバランス) などなど

災害時に起きる問題の 大部分は、 技術・知識の問題ではなく、 管理の問題です。

情報源:ICS理論から入る 危機管理調整システムの理解 – 全国保健所長会

ネット上にあるICS関係の資料は、誤解が多く正しく理解していないものが非常に多いのだが、この資料は、正しい理解に基づいた非常に良いプレゼンテーションだと思う。ICSは、アメリカの真似をしてICSごっごをしたところで何かが直ちに改善するというようなものではないので、このプレゼンテーション資料にあるようにその背景にある理論を学び、なぜ、このような仕組みを標準化することが合理的なのかを理解し、自分たちで、自分たちの組織に合わせて、仕組みを構築することが非常に重要である。

保健所や病院は、災害時に大混乱をする最前線であり、たぶん、現場でのマネジメントの重要性が理解できるのだろう。この資料からは真剣さが感じられる。もっと、このような理解を促進する必要がある。

 

 

危機管理指針充実のための視点

危機管理指針充実のための視点

10年近く前に消防庁から地方公共団体に対して示されたガイドライン。内容は非常によく整理されているのだが、地方公共団体側は理解できているのだろうか。

見せかけとしての訓練では不十分

NHKなどでの報道を見ていると、相模原での事件を受けて全国の障害者施設で不審者に対応する訓練が始まっているようだ。確か2001年に発生した大阪の池田小学校での事件の後もそうだった。多くの小学校で警察官の指導を受けながら不審者対応訓練を実施していたように記憶している。訓練を実施することは必要なのだが、問題はその想定とシナリオ、つまり、今回は障害者施設、10年前は小学校というように、事件と同じ施設が狙われているというシナリオに基づく訓練ばかりが行われていることである。日本では、何か事件や事故があると、あまり意味がないということがわかっていても、見せかけを作るためのパフォーマンスとしての訓練が行われることが非常に多い。

正直言って、今回の犯人が無罪放免されて留置場から出てくることでもない限り、全く同じパターンで狙われるなどという確率は限りなくゼロに近い。池田小事件のあと、同じような事件が小学校で発生しただろうか? 全くゼロだったはずである。今回の犯罪は、過激派集団による組織的な犯罪ではなく、いわゆる「ローンウルフ型憎悪犯罪」である。これが組織的なものであるならば、同様なシナリオが発生する可能性は確かに高いが、今回のパターンは全くの個人によるものであって理由もターゲットも独特なものであるので、全く同じパターンの発生確率は極めて低い。

ただし、今回の事件が、人々、特に障害者施設で働いている方々のリスクパーセプション(リスク認識)に変化を与えたことは間違いない。従って、障害者施設の方々の不安感が高まるのは当然であり、何ら不思議なことではない。しかし、実際には、その犯人(リスク源)がすでに逮捕、すなわち除去されている。必要以上に障害者施設の方々の不安を煽るのではなく、障害者施設の方々に対する説得力のあるリスクコミュニケーションが実施されれば、障害者施設の方々のリスク認識、言い換えれば不安を和らげることはできるはずである。

ところで、今回の事件と同じシナリオが発生する確率は極めて低いのだが、他方、日本でも、無差別殺傷事件は多発している。右の表は、7月27日付日経新聞電子版からの引用であるが、同記事にもあるように、これらは、多かれ少なかれ、社会に対して何らかの反感を持つ「ローンウルフ」が過激化した「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」である。欧米のテロと違うのは、宗教的なものでも組織的なものでもなく(オウム事件を除く)、銃を使ったものでもないということぐらいである。表から見ても、同じシナリオで発生しているものはないことがわかる。それは、それぞれのリスク源である行為者本人が逮捕されているからである。

このように全てパターンが異なる場合どうすべきか。これは「オールハザード」と呼ばれる対応手段を準備しておくしかないということになる。「ハザード」とか「リスク源」とか「脅威」など、いろいろな言葉が氾濫しているのだが、防災分野ではリスク源をハザードと呼び、セキュリティの分野などではそれを脅威と呼んでいるだけであって、いずれも、好ましくない結果をもたらしかねない根源的な要因である。

今回のような犯罪の場合はハザードと呼ぶよりも、脅威と呼んだ方がよいのかもしれない。その場合、どのような脅威に対しても効果的に対応する手段ということになる。そんなことが可能なのかと瞬間的には誰もが思うだろう。しかし、アメリカなどで発達している「オールハザード」という考え方は、何のことはない、お客様からのオーダーメードによる特注品の製作工程と同じである。トヨタのジャストインタイム工程と同じことだとも言える。(注:「オールハザード」という考え方は、全てのシナリオを詳細に事前に予測して災害の発生を予防するという考え方ではない。逆に予測しきれなかったシナリオに対して事後的に迅速かつ柔軟に対応して被害を最小化できるよう要所要所を標準化したマネジメントシステムである。)

ある犯罪者は、銃を持っているかもしれないし、他の犯罪者は包丁かもしれない。ある犯罪は、複数人のグループによるものかもしれないし、他はローンウルフかもしれない。銃を持っている犯罪者にナイフで対抗するのは、B29に竹やりで対抗しようとするようなものだし、組織的な犯罪にひとりで立ち向かうのもアメリカ映画に出てくるヒーローのような力を持っている者でなければ無謀である。つまり、個々の脅威に対応するために必要な道具や人数、組織、作戦(これらを総称して「資源」と呼ぶ。)は、全てのケースにおいて異なるということである。

ではどうするべきか。答えは、資源と機能、資源とプロセスを完全に分けたマニュアル(「インシデントマネジメントマニュアル」)を作っておき、そのマニュアルに習熟しておくということである。しかし、実は、このように分けて考えるということが意外と難しい。往々にして、我々の作るマニュアルというのは、「誰が何をする」、「何によってナントカする」、「どの組織が何をする」、「次の仕事は誰がする」などとように資源と機能、資源とプロセスを明確に紐づけて固定的にしてしまうのだが、これが諸悪の根源である。重要なことは、目的を達成するために必要な資源を柔軟に選択することである。銃を持った侵入者がいたとし、目の前にナイフしかなければ、無謀な行動をせず、外部に支援を要請する方がよい。ではどのように外部に支援を要請すべきか、このようなプロセスを明確にしておけばいざというときの現場の混乱はある程度避けられる。

どのような脅威が発生したのか、まず、把握する(敵は何人、敵の武器は何、など)。それに対応するための資源は手元にあるのか、なければどこにどうやって支援を求めるか、現場ではどのような立場の人(誰がという特定の人物名ではなく、「当直長」「その場に居合わせた人の中で最上位の人」などのように柔軟性を持たせておく)が指揮者になって当座の意思決定をするのか、などをあらかじめ決めておき、資源選択の訓練や支援要請の訓練をしておく、そして、このようなマニュアル作成と訓練を今回事件のあった障害者施設だけではなく、様々な組織で実施しておくことが重要だと思われる。なお、オールハザードの考え方を徹底し、作り方さえ間違えなければ、今回のような犯罪リスクのみならず、災害リスクなどにも対応できるはずである。

日本では、「訓練をやりました」という「アリバエ作りのための訓練」、言い換えれば「見せかけ」の訓練が多すぎる。日本は基本的に村社会文化に根差しているため、みんなの和を維持することに過剰に神経を使い、喧々諤々と意見を述べながら訓練や議論を繰り返すのは難しいのかもしれない。必要なのは現実を重視し、熱のこもった議論をしながらマニュアルを作り、その内容の確認と改善のために訓練を実施することなのだが・・・。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政策研究・政策提言へ
にほんブログ村

災害対応はトヨタのジャスト・イン・タイム方式で

地震発生から10日あまりが経つが、テレビ、ラジオ、新聞等で目立つのは「今被災地で必要なものは何か?」という議論である。専門家なる人物がテレビに出てきては、現地ではあれが足らない、これはもういい、こうしたほうがいい、などなどと自由活発な議論をする。それはそれで結構だが、これらはその一部の先生方が現地へ赴き、ごく一部の人たちから見聞きした、非常に断片的な情報に基づくものであって、決してマクロ的な全体を代弁したものではない、という点を我々は認識しておく必要がある。そうゆう人もいるだろうし、そうではない人もいる、ということであり、人のニーズというのはそんなに画一的なものではなく、多様なものである。必要な情報とは、Aの状況の人が全体の何割ぐらい、Bの状況の人が何割ぐらい、Cの状況の人が何割くらいだ、というおよそでもいいから全体を推測した情報だ。こうゆう情報を専門家なら統計手法を駆使して迅速に発表してもらいたい。現地で1人2人の話を聞いてその話をテレビで代弁することぐらいなら誰でもできる。マーケティングの手法を駆使してもらいたいものである。

そして、このような需要予測というものがほんとうに正確にできるのであれば、政府のプッシュ型支援なるもの、言い換えれば政府による計画的配分で必要十分ということになるのだが、正確な需要予測など災害という大混乱の中では実際には非常に難しいということは容易に推測できる。ではどうすべきか。それが、ここで述べるジャス・イン・タイム方式、すなわち、トヨタのカンバン方式を採用するということである。後工程から前工程に対する要請主義、プル型といってもいい。

資源配分は「最適に配分する」ことが重要なのであって不足してはいけないが、多すぎてもいけない。現地ではすでに食料品などの支援物資は避難所が置き場に困るほど届いているらしいが、このように余分な物資が避難所を占有してしまうと、その分、人の避難スペースが減少する可能性だってあるだろう。これらは経営学でいうところの「在庫」であり、在庫とは無駄な費用である。これらはスペースも無駄にするし、お金も無駄にする。余計な物資の運搬に運用業者等の人員が割かれれば、これらの人員が他の必要な物品の運搬に割り当てることができたであろう時間(これは機会費用「Opportunity Cost」であってやはり一種の「費用」である。)をも浪費する。このように我々は災害時であっても常に最適配分を意識しなければならない。

上記の議論はおおむね食料や住居、生活物品などのような物的資源の分配に関するものだが、災害が発生してから収束するまでの様々な問題を解決するために現場はさまざまな資源を必要とする。資源は、目に見える物品や燃料などの物的資源だけでない。現場に入る自衛隊や消防のような救助隊の人も資源である。人的資源(Human Resource)である。物の購入等に必要なお金も資源であるし、人や物の割当を決めるために必要な情報も資源である。「人」「物」「金」「情報」これらは全て経営学で経営資源と呼ばれる「資源」である。これらの資源を目的を達成するために如何にして効果的に割り当てるか、これを決定し、その効果を継続的にモニタリングして、必要に応じて継続的に改善していくための仕組みがマネジメント・システムと呼ばれるところのものである。従って、まず、必要になってくるのは、決定したり、モニタリングしたり、改善するための「プロセス」である。どんなマネジメントシステムでもまずプロセスをきちんと定義する。もっとも単純化された基本的なプロセスはPDCAサイクル(PLAN-DO-CHECK-ACTION)である。実際には目的に応じてこれらのプロセスが更に細分化されて定義されている。

そして、このプロセスというフローの中で目的の達成に必要な機能(ファンクション)を決め、それらの各ファンクションに対して、人、物、金、情報といった経営資源を割り当ててていく。今回の地震では市庁舎などの防災拠点が地震で倒壊の危機にさらされ使えなくなってしまった、というニュースがあった。これは、防災拠点( 欧米では「EOC(Emergency Operation Center)」と呼ばれている)というファンクションに市庁舎という資源を割り当てていたものだが、災害のマネジメントでは、あるファンクションに特定の資源のみを固定的に割り振っておくことは望ましくない。日本の防災計画では、往々にして特定の資源を固定的にあるファンクションに紐づけている例が多いが、このようなことをすると大概予期せぬ事態に遭遇して身動きがとれなくなる。人という人的資源の場合も同様である。ある特定の人の仕事(つまりファンクションである)を固定的に防災計画の中で規定してしまうと、その人が何らかの事情でいなくなるとそのファンクションが提供されなくなる。必要なのはファンクションであって、特定の人や物ではない。災害対応の指揮官とてもケースバイケースである。米国などでは最初に現場に到着した人が指揮官になるとだけ決まっており、「誰が指揮官をする」とは決められていない。決めることなどできない。

ファンクションと資源の関係は、防災計画では柔軟に考えておかなければならない。実際には、災害が発生してから資源の割り当てを考えざるえない場合がほとんどである。事前に固定的な資源配分を防災計画で決めてしまうことは望ましくない。例示的な意味合いに留めておくべきだろう。

このようにファンクションに応じて資源を割り当てていく方法を「ファンクショナル・アプローチ」という(詳細:「危機管理におけるファンクショナル・アプローチ」参照)。

災害が起きる前にこのファンクションを定義し、日本国中のみんなが共通理解をもっておくことができれば、臨機応変に組織が編成されたとしても、各自の役割をすぐに理解することができるし、代替資源を供給することも容易になるだろう。また、プロセスがきちんと定義されていれば混乱する災害の中でも必要な作業を漏れなく、ダブりなく進めていくことができるだろう。

そして、この仕組みを効果的に動かすためには、各プロセスの中で流れる情報の定型フォーマット(例:米国のICS各様式)を決めておくこと及び各資源のチェックインを管理すること(米国では救助隊や支援物資といったあらゆる資源をStaging Areaという場所にチェックインさせて一旦プールし、そこから必要なだけピックアップしていく)が極めて重要になる。これは、言い換えると災害対応というマネジメントシステムをトヨタのカンバン方式(Just In Time(JIT)方式)のようにするということに他ならない。災害対応版サプライ・チェーン・マネジメント(SCM)と言っても過言ではない。トヨタのカンバン方式では、カンバンという定型フォームを各製造工程(プロセス)の中で行き来させることによって、擬似的な注文生産のような工程を構築し、在庫を極限までなくすことに成功して、世界が注目したマネジメント・システムである。筆者が10年前米国のGWUで米国流危機管理を学んでいたとき、あるFEMA OBの教授が、「Just-in-Time !」「Just-in-Time !」と強調していたことを思い出す。あの先生は筆者が日本人だということ見て、「これはおまえの国から学んだことなんだぞ」と言いたかったのだろう。しかし、我が国ではモノづくりでこそJITが根付いたかもしれないが、それを災害対応に応用するなどどいうことは、思いもよらないことだろう。そんなこと言い出した途端に「災害対応と自動車の製造を一緒にするな!」と言われそうだ。よく考えてみればどちらもマネジメント・システムの問題であり、目的やアウトプットが異なるだけであって、自動車のドアやエンジンなどの部品の代わりに、First Responder(自衛隊・消防・警察等)、DMAT、NPO、ボランティアや支援物資という部品を投入して、一定のアウトプットを産出するための工程に他ならないのだが(災害は千差万別なのでまさに特注の注文生産工程が必要だ)。【「人間は部品ではない!」と怒る人も恐らくいるだろう。しかし、経営科学という観点では、部品=資源であり、人=人的資源=資源である。従って、部品=人である。この点を割り切って考えていかないと仕組みの改善はできない。】

なお、最近の災害ボランティアは、現地のボランティア受付センター(米国のStaging Areaに相当する)で登録後(要するにチェックインである)、ニーズがあるまで待機させ、必要に応じてプールされたボランティアを必要としている家庭などに派遣するという手法をとっているが、これはまさにトヨタのカンバン方式でいえば、後工程が前工程に必要なときに必要なだけ必要な部品を取りにいっているのと同じことである。20年前の阪神大震災やナホトカ号油流出事故のときは、ボランティアの管理ができていなかったため、ウロウロしていたボランティアがかえって現場の邪魔になっていたことを反省して、現在のような仕組みになったのだろう。言い換えれば、ボランティア団体の方が、一歩先にいっており、政府部門の方がまだ改善されていないということになる。

以上述べたことは災害対応(インシデントマネジメント)を標準化するということに他ならず、我が国の災害対応の仕組みの中で決定的に欠けている部分であり、今回の地震の場合でも全ての問題は「最適な資源配分をもたらすための仕組み」の欠如という課題に帰結する。

マネジメントシステムが標準化されていれば様々な資源配分がもっとスムーズに、かつ、最適に実施されるはずである。災害対応について考える前にトヨタのカンバン方式について学んでみてはどうだろうか。

参考図書:トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざして・・・ 大野 耐一

 

~ICSとはトヨタのジャスト・イン・タイム方式を災害対応に応用したものである~

 

 

組織化コストの削減

以前の投稿で述べたとおり、物的な標準化、例えば、乾電池のサイズや電圧、電源プラグの形、携帯電話の通信方式、消防ホースのプラグの形などを決めてしまうということは、どこの企業が作った物をどこから持ってきても使えるということであって、その物と物の間にコンバーターや翻訳装置のようなものを挟む必要がなくなる、つまり、組織化コストを削減できるということがメリットである。これらは、物と物の間のインターフェースを決めるということだが、同様に人と人、人と組織、組織と組織の間のインターフェースを決めてしまえば、どこからどのような人や組織がやってきても、同じ仕事をしてもらえるということになり、個別にその都度、人に説明をしなくてもよい、ということになり、やはり、組織化コストを削減できる。つまり、考え方は物と物の間のインターフェースの場合と全く同じである。

ただし、人を対象にした場合には物のように目に見える形や電気的な特性のようなものがないので多少わかりにくい。どうやってやるのか、ということになると文書化、マニュアル化である。やり方や権限、流れ、など、いろいろなことをあらかじめ定義し、決めておき、あらかじめ頭の中に入れておいてもらう、という方法によらざる得ない。人によってはその身についている内容が違うこともあるだろうから、全てのことを知っていれば何でもすることができるわけだが、部分的にしか知らなければ組織の一部分についてなら仕事をすぐにしてもらえるということになる。資格制度というのはそのためにある。

ISO9000などのISOマネジメント規格といわれるものは、基本的に組織の間のインターフェースの在り方について定めている。ISO9000などの認証を得ようとする組織は、規格によって定められた様々な内容の文書やマニュアルを作らなければならない。そして、それらの内容を組織の構成員(会社であれば社員)に対して教育しなければならない。そうすれば、特定の人に依存することなく、誰がやっても同じアウトプットを出すことができる、ということになる。言い換えれば、組織と人の間の組織化コストが下がっている。一個人に属する「暗黙知」に依存する必要がなくなるため、言葉は悪いが人の交換が可能ということになり、製造業などにおいては誰がやっても一定の品質の物が常に生産できる、ということがある程度保証される。従って、ISO9000などの認証を得た企業が政府の安全基準検査などを受ける場合には、生産物は全て同じ品質であるということが推定できるので、生産物ひとつだけ検査すれば十分ということになる。しかし、ISO9000がない企業の場合はバラツキがあるかもしれないので、基本的に全部検査しなければならないということになり、検査だけでも大変な労力が必要になってしまう。

米ICSなどの場合は、組織の間のインターフェースのみならず、組織と組織の間のインターフェース及び人と人との間のインターフェースも定めている。大災害などの場合には、多数の組織が災害現場で共同して作業にあたる必要が出てくるが、その場合においてもそこに集まる組織と組織の間のインターフェースを決めておけば、迅速にどんな組織でも、災害現場にできるであろうより大きな組織に組み込むことができる、ということになる。また、逆に小さなインシデントの場合にはその現場に集まる数人の人で臨時に迅速に小さな組織を編成することもできる。言い換えれば、組織と組織、組織と人、人と人の全ての間の組織化コストが下がっている。米国でICSを「プラグイン組織」とか「モジュラー組織」などと呼んでいる所以である。

米国に日本の災害時に協力してもらうということまで考えたら、米国のICSをそのまま日本に輸入してしまうのが米国と日本の間の組織化コストを下げることができるので最も理想的である。しかしながら、米国と日本の間にはすでに大きな言葉の壁が存在しており、日本語と英語の間は一対一に対応しておらず、また、制度的違い、価値観の違いなども多数あるため、コピペすれば問題が解決するというような安易なものではない。一部の企業などは横文字を輸入しても違和感がなくスムーズにいくだろうが、日本全国津々浦々、山の中の田舎まで将来的には普及させなければならないことを考えたら、最大多数の日本人にとって理解しやすい、言い換えれば、組織化コストが低いシステムを開発したほうがいいだろう。恐らく、日本国内で発生するインシデントの99%は日本人のみによって対応しているであろうから、残りの1%のために米国に合わせるというのも合理的ではない。

また、日本人は米国のものならきっとよいものに違いないと考えがちであり、なんでも米国のモノマネを今でもしたがるが、米国のICSをモノマネして組織だのを編成しただけではなぜそれがよいのかというのが、直感的には理解しにくい。米国の場合は暗黙の常識として明確に書いてない部分がかなりあるように思う。意外とドイツのICSを定めたDV100という規則を読んだ方が重要な項目が全て規定されており、どんなことを決めておけばよいのかということが、わかるかもしれない。

実際問題としては、ISO9000などがあまりうまくいっていないように、組織の標準化というのはそんなに簡単なことではない。米国でICSの普及に30年を要していることからもそれは推定しなければならない。組織と組織の間のインターフェースとして決めておくことができる要素にはいろいろあり、1%決めることも100%決めることもできるわけであるので、一体どこから入っていくのがよいのか、順序なり、長期的な戦略なりをまず検討した方がよいのではないだろうか。現在、我が国おいてもすでに様々な法律によっていろいろな規制があるが、それらはある意味、組織と組織の間のインターフェースを決めているものであるので、今現在標準化された要素が全くないというわけではない。日本の役所と役所の間の壁は外国に比べるとかなり高いのが現実であり、まずは標準化のための戦略が必要だろう。