小保方さんと危機管理

先週は小保方さんのSTAP論文疑惑で日本中が炎上していたようだが、一見関係のなさそうな科学論文の作成と危機管理が大いに関係があるという点について、筆者独自の視点から述べてみたい。

先週木曜日の3月14日、理研が記者会見をしてSTAP論文疑惑に関する中間報告を実施した。筆者もニコニコ動画の中継を見ていたが、記者からは論文をネイチャー誌に投稿する前に理研はちゃんと査読しなかったのか、チェックしなかったのかという理研側の責任を問う声が多数上がっていた。しかし、あえてこれは理研には何の責任もない話であって小保方さんをはじめとする全著者が全て責任を負わなければならないものであると言いたい。ノーベル賞受賞者の野依理事長までもが記者に頭を下げて謝罪していたが、野依さんが謝る必要などは全くない話である。理研のような研究施設というものは、個々の自立・独立した研究者を支援・サポートするために存在するのであって、研究設備や場所、資金などを支援しているに過ぎない。行政機関や企業などのようにピラミット型の官僚的な組織として上からの命令で個々の研究者に研究割当があるわけではない。原則として個々の研究者がこのような研究がしたいと言って入ってくるわけであって、研究機関はその研究が社会のニーズに照らして意義があると考えれば採用し、その研究を設備面、資金面などで側面からサポートしているに過ぎない。

従って、小保方さんの研究チーム(他の大学研究者などを含めて14人もいるようだが)は、研究チーム、言い換えればプロジェクトチームとして論文をネイチャーに出すか出さないかを決めているのであって、出す前に役所のように稟議を回して野依理事長の決裁を得て出しているわけではないだろう。各研究員が所属組織の幹部の稟議をとらなければならないなどということになったら、時間もかかるし、論文が不必要なまでに修正される恐れも出てくる。そんなことをしたらとにかく出せるものが出せなくなるはずだ。逆に各組織の稟議を得ていないということは、各研究員が全ての責任を負わなければならないということを意味する。そもそも、各所属組織にも責任があるということになったらば、理研だけでなく、東京女子医大や山梨大学、ハーバード大学などこの研究に関与した組織にも責任があるということになり、野依理事長だけが謝るというのはおかしな話ということになる。ハーバードの学長も謝れ、ということになってしまうだろう。

実は、このSTAP研究チームと理研との関係というのは、災害時の現場チームとそれをサポートする関係機関との関係と同じなのである。災害時にはその被害を沈静化するために必ず現場チームというものができる。そして、その現場チームに必要な資機材、物資、人材などを提供する、言い換えればサポートするのが、様々な行政機関や関係機関などの役割である。サポートしている行政機関や関係機関は現場での意思決定には関与できないし、また、関与してはならないものである。しかしながら、なぜか我が国はこの現場から遠く離れた東京の行政機関や場合によっては首相官邸までもが、現場チームの意思決定に干渉する傾向が非常に強い。福島第一原発事故時に当時の菅首相が海水を注入を止めろなどと現場に対して余計な関与をしていたが、このような状況は、実は決して珍しくない。筆者が官庁勤めしていたときにも東京の本庁が現場に干渉するなどというのは日常茶飯時的に発生していたし、他の省庁などでも珍しくないはずだ。

このような事態がなぜ生じるのかと考えてみると、その背景に「現場だけに責任を負わしてしまうのはかわいそうだ、組織全体で責任をとれ」みたいな強い風潮が日本社会にあるからではないだろうか。だから、小保方さん事件においても、マスコミは理研の責任を問おうとする。災害が発生した時にも首相官邸や本省庁の責任を問おうとする。だから、逆に首相など現場から遠くはなれたトップが現場に干渉するようになる。そうゆう悪循環になる。このままほっておくと、研究論文の発表という意思決定も、各研究員所属組織の決裁なりチェックを必要とする、などというような方向に行きかねない。そんなことになったら、自由な研究などというのはできなくなる。

そうゆう意味においてもこの論文に関係した14人の研究者の責任は非常に重いと考える。揃いも揃って、同じ写真が2枚使われていることや写真に改ざんが見られることなどに気付かなかったのか。STAP細胞ではない写真が使われていることにほんとに気づかなかったのか。ほんとに気づかなかったのであれば、14人が揃いも揃っていい加減であったとしかいいようがない。自分が共同執筆者になる論文なら、隅から隅まで読んでおかしなところがないことを確認してから共同執筆者になることに合意しろ、と言いたい。

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