危機管理のフレームワーク

災害や事故、更にはコンピューターに対するサイバー攻撃からビジネスにおける他社との競合や戦争まで、大規模な人的損失や物理的損失の発生に至る場合には必ず負の価値連鎖があり、その負の連鎖のどこかが断ち切られていれば最悪の結果には至らないものである。不幸なことに、AかつBかつCかつDという位に何重にも負の要素が重なったため発生したということであり、我々は、そのような連鎖をどこかで断ち切る努力をしなければならない。

リスクとは、一般的に、Likelihood(被害の発生確率)とConsequence(発生した被害の大きさ)の積、すなわち、負の期待値として定義される。従って、災害や事故などのインシデントによる被害を減少させる方法は、当該インシデントによる被害の発生確率を下げる方法と発生した被害の拡大を防ぐ方法の2つに分かれる。

1.被害の発生確率を下げる方法(Reducing Likelihood)

被害の発生確率を下げるための対策は、防災分野では、予防(Prevention)や減災(Mitigation)などと呼ばれることもある。これはハザードマネジメントとも呼ばれ、次の3つに細分化される。

(1)ハザード自体の削減(Reducing Hazard)

インシデントを引き起こす根本的な要因をハザードという。危険要因と訳されることもある。ハザードという語は主として防災関係の科学において使用されるが、他の分野の科学では、リスク源とか、脅威と言われることもある。ハザードも、リスク源も、脅威も、好ましからざるインシデントを引き起こす可能性のある何かを指す言葉であって、そのマネジメントサイエンス上の位置付けは全く同じである(筆者はこれらを包括的にハザードと呼ぶ。)。そして、このハザードを取り除いてしまえばインシデントは発生しない。

例えば、雪崩インシデントを引き起こすハザードは、斜面に降り積もり、滑り落ちやすくなっている雪である。これに更なる何らかの外的要因、例えば、大きな音や強い風、気温などの要素が加わり、それらに起因して大量の雪が斜面を滑り始める。従って、そもそものハザードである滑りやすくなっている雪を取り除いてしまえば雪崩インシデント自体が発生しない。そのための方法としては、空砲を発射したり、何かを爆発させることによって、大きな音を発生させ、その大きな音波によって雪崩を人為的に起こさせてしまう方法がある。一度、大きな雪崩を起こしてしまえば、更なる雪崩はすぐには発生しない。

船舶が浅瀬に乗り上げるというインシデントを引き起こすハザードは、浅瀬であるので、浅瀬を浚渫し、水深を深くしてしまえば、浅瀬への乗上げというインシデントは発生しない。踏切事故というインシデントを引き起こすハザードは、踏切であるので、電車の線路を高架化し、踏切自体を無くしてしまえば踏切事故というインシデントは発生しない。このようにインシデントを引き起こす可能性のあるハザード自体を完全に無くすことができればインシデントの発生確率はゼロになる。すなわち、インシデントを予防することができる。

ただし、世の中にはインシデントを引き起こすハザードを除去することができないものも数多くある。例えば、地震というインシデントを引き起こすハザードは、地下深くに存在し、ズレやすくなっている断層であるが、それらの断層を除去するようなことは現在の科学では不可能である。津波というインシデントを引き起こすハザードは、海であるが、当然ながら、海を全て埋め立てることは不可能である。このような場合にリスクを削減するためには、ハザードの削減以外の方策による必要がある。

(2)顕在化の抑制(Reducing Exposure)

英語の「Exposure」には「隠れていたものが見えるようになる」という意味がある。ハザードも通常は隠れていて表に出てこなければ問題はない。ハザード自体を取り除くことができない場合でも、それが我々の目の前に現れ、危害が加えられるような状態にならなければ問題はない。このように、あるハザードによりインシデントが発生したとしても、それが我々の目の前に現れないようにすることを「ハザードが顕在化しないようにする」と表現する。このための方法としては、ハザードの周りを何か頑丈なもので固める、ハザードとの物理的な距離を広げる、時間的にハザードが顕在化しにくい時間帯を選ぶ、などの方法があるだろう。言い換えれば、物理的空間や時間的空間をマネジメントすることによって、ハザードが直接的に我々の身に及ばないようにすることである。

例えば、雪崩インシデントを引き起こすハザードが顕在化しないようにするためには、そもそも冬山に入らない、雪崩が発生しやすい時間帯や季節、気象条件のときには山に入らない、顕在化しそうな時には専門家が警報を発令して人を近づけない、山に入ったとしても短時間で下りてくる、山に入る人の数を必要最小限にする、などの方法があるだろう。

自動車を我々は移動手段として日々運転しているが、自動車も、運転者自身や他人に対して損害を与える可能性のある立派なハザードである。自動車自体を無くしてしまえば、全ての自動車事故は無くなるのだが、移動手段としての便益が大きいため、我々は自動車を無くすことができない。そこで、我々は、各種の交通ルールを設けて、交通事故の防止に務めているが、このように交通ルールを定めることによって、自動車インシデントが発生しないようにするのもハザード顕在化抑制の例である。

(3)脆弱性の削減(Reducing Vulnerability)

(1)のハザードの削減は、戦争に例えれば敵を攻撃して殲滅することを意味し、(2)の顕在化の抑制は、敵との距離を離しておくことを意味する。これに対し、脆弱性の削減とは、防御力、守備力を高めるということを意味し、自らの弱点を補強し、インシデントが発生し、それが自らに及んで来たとしても、守りきるだけの力をつけるということである。

雪崩インシデントに対する脆弱性削減の手段としては、例えば、雪崩防護柵やスノーネットを訓練エリアの周りに張る、あるいは、もっと直接的に雪崩に襲われた時に膨み自分の体が雪の中に埋没することを防ぐ「アバランチ・エアバッグ」を身につけておく、などの方法がある(ただし、あまり一般的なものではないかもしれない)。

自動車の場合も、運転者側や助手席側の席に前にエアバックが装備されており、自動車インシデントが発生した場合に自動的に膨張し、運転者や乗客の命を守るように設計されている。これも、人間の側の脆弱性を補強し、インシデントから身を守るための手段である。

コンピュータシステムに存在するソフトウェア上のセキュリティーホールをソフトウェアを修正することによって、外部からの侵入などを防止することも脆弱性を削減する例であるし、インフルエンザワクチンを注射して、インフルエンザに感染したとしてもそれが体内で悪化しないようにすることも、インフルエンザウィルスに対する人間の体の脆弱性を削減した例であろう。

自然災害の場合は、地震というインシデントが発生したとしてもそれによって被害が生じないように家の耐震構造の強化する、津波から町を守るために海辺に防潮堤を高くする、などが脆弱性削減の例である。

2.被害の拡大を防ぐ方法(Reducing Consequence)

不幸にして発生したインシデントが我々の身に被害を与えるような事態となった場合には、その被害を最小限に抑えるようにしなければならない。この作業はインシデントマネジメントと呼ばれる。被害の拡大を防ぐための手段は、準備(Preparedness)、対応(Response)及び復旧(Recovery)という3つのプロセスに大きく分解することができる。ここでは、捜索救助(Search and Rescue)という典型的なインシデントマネジメントを例として示すことにする。

(1)準備(Preparedness)

万一の遭難に対しての備えは、救助される側と救助する側の双方で必要な準備がされていなければならず、双方の連絡体制や遭難時に必要となる装備が備えられ、かつ、必要な訓練が実施されていなければならない。なお、雪崩インシデントへの対応を想定する限り、登山者自らが救助される側にも救助する側にもなりうる。仲間が雪崩に巻き込まれた場合、山岳救助隊などの支援を求めるのは当然のプロセスだが、その到着までには相当の時間を要するため、まずは、現場周辺にて無事だった仲間による捜索救助活動が実施される必要がある。

イ 登山者側の準備

登山者は、雪崩のリスクが完全にゼロの場合を除き、最悪の場合には雪崩に巻き込まれて遭難するという前提で、必要な準備をしておく必要がある。この場合、自分自身が埋まった場合への備えと仲間が埋まった場合への備えの2つに分かれる。

(イ)自分自身が埋まってしまった場合への備え

雪崩ビーコンを必ず装着し、電池残量が十分であることを確認しておく。雪崩ビーコンには送信モードと受信モードがあるが、通常は送信モードにしておく。受信モードは、(ロ)で述べるように仲間を救助する場合に切り替えて使用する。

那須での事故時には、高校生や教員を含め、誰も雪崩ビーコンを装着・装備していなかったようである。

(ロ)仲間が埋まってしまった場合への備え

一緒に登山している仲間が雪崩に埋まってしまった場合、山岳救助隊への通報をして支援を求めるとともに、山岳救助隊の到着する前であっても、更なる雪崩のリスクなどがない場合には、自分達で救助活動を実施しなければならない。雪の下に人が埋没した場合、30分も経つと急速に生存確率が低下するため、一刻も早く掘り出す必要がある。そのために必要な準備は次のとおりである。

・緊急通報手段

自分達だけで仲間を救助できる場合はよいのだが、多くの場合はそうではない。その場合には、救助隊等に緊急連絡し、救助隊等を派遣して貰わなければならない。そのためには、110番通報のための携帯電話、無線機、衛星携帯電話、緊急通報発信機などが必要となる。山岳地帯は携帯電話の基地局が十分設置されているわけではないので、携帯電話は繋がらない場合の方が多いということを認識しておく必要がある。できる限り、携帯電話以外の通信手段も用意しておかなければならない。

・救助するための装備

雪崩ビーコン、掘り出し用のスコップ、プローブ、マーキング用フラッグなど。仲間が埋まった場合には、まず、雪崩ビーコンを受信モードに切り替えて、雪の下に埋まっている仲間のビーコンが発信している電波を探知する。雪崩ビーコンを受信モードにして測定すれば、埋没者の方向や距離が大まかに分かる。埋没地点が判明した後は、更に詳細に埋没深度などをも確認するためプローブと呼ばれる細い棒を延ばして雪の中に挿し、プローブの先に何かが当たらないかをズボズボと確認する。それがヒットした場合には、人手が十分いる場合にはすぐにでもスコップで掘り出しにかかるべきだが、人手が十分ではない場合は、その地点に小さなフラッグを立て、後からやってくる救助隊にその位置がわかるようにしておく。装備があれば、仲間による迅速な救助も、ある程度できる。

・捜索救助訓練

上記のような装備があったとしても、それらの操作などに習熟していなければ、やはり、迅速な救助はなかなか難しい。雪崩ビーコンにしても、全く訓練なしにその使い方がわかるようなものではなく、捜索の方法やトリアージによる捜索や救助の優先順位付け、人員資機材などの資源の組織化、現場における救命措置など、多くの訓練が必要である。

ロ 外部の救助隊側の準備

公的な山岳救助は、日本の場合は警察が中心となる。ただし、警察以外にも、消防や各県の防災ヘリ、民間の救助隊などさまざまな資源が投入されることが多い。そして、このような後から現場にかけつけてくる救助隊に加えて、現場に無事だった仲間たちがいる場合には、上記に述べた通り、これらの仲間たちが、初動対応に従事することもある。このように多くの異なる組織・団体が十分スームレスに組織化された対応をとることができるよう、予め必要な取り決めをしておき、様々な資機材やマネジメントの仕組みの標準化を行っておかなければならない。

米国やカナダでは、ICSが各種の捜索救助活動に適用されるのだが、日本場合は、標準化されたインシデントマネジメントシステムが導入されていないため、不十分な連携、救助の遅延、責任の押し付け合いといった組織論上の問題が発生することが多々ある。

(2)対応(Response)

(1)にて述べた準備(Preparedness)は、インシデントの発生前に備えておくべき事項であるが、必要な準備があったとしても、実際にインシデントが発生した場合には、様々な資源配分や捜索救助計画に関する意思決定上の問題や不必要な遅延などが発生するものである。

対応段階で、最も重要になるのは意思決定である。最大多数の人命を救助するためには、どのような優先順位で、救助していけばよいのか。また、その意思決定を誰がすべきか。これらを予め、準備段階で可能な限り、ガイドラインとして方針を決めておけば、いざという時に混乱せずに意思決定できるようになるだろう。

(3)復旧(Recovery)

一般的な災害時には、道路や鉄道、建物などの物的資源が被災し、それらを復旧するというプロセスが存在する。しかし、雪崩インシデントのような場合には、基本的にそのような物的資源の被害はなく、復旧というプロセスが存在しないように見える。しかし、広義に考えれば、怪我をした高校生などに対する治療や医療サービスなどは、人的資源に対する復旧プロセスである。これらのプロセスにて必要な資源が適切に投入されるような体制を構築しなければならない。

最悪の事態に至る前にその負の価値連鎖を止めるチャンスは通常は何度もある。なお、インシデントが発生する前と後の全ての対策を完全に行うというのも資源が無限にあるものではない以上、実際には非常に難しい。要は、関係者の間で、コンセンサスを構築し、どこに重点を置くのかを決め、それに従って、資源配分することである。

対応や復旧の良し悪しは、実際にインシデントが発生するまでその評価をすることはできない。従って、インシデントの発生前にできる次の4つを分析し、どこにどんな資源をどのくらいの量割り当てるかということを日頃から評価し、インシデントが実際に発生したときには、更に再評価して、改善していくという姿勢が求められる。

  • ハザード削減
  • 顕在化抑制
  • 脆弱性削減
  • 準備