意思決定のための資源配分

誰が何を意思決定すべきか、つまり、「何かを決める」(権限)という組織の機能に対して誰を割り当てるか、という人的資源の配分問題であるが、私はこれが危機管理や緊急時のマネジメント(これらを「インシデントマネジメント」と呼ぶことにしている。)の問題の核心であると考えている。言い換えれば、インシデントマネジメントの良し悪しは、権限に対する資源配分の良し悪しにかかっている。これは、緊急時ではない通常時のマネジメントにおいても同じことかもしれないが、通常時は、時間という資源が豊富にあり、また、物や人などの資源も時間さえあればかなり自由に集めることができる。しかし、緊急時には「時間」がないことに加えて利用可能な物や人、情報などの資源も不足する。つまり、緊急時にはあらゆる資源が不足する。このような厳しい資源制約の下での資源配分を意思決定しなければならないので、通常時以上に、意思決定者を誰にするかという問題がより重要になる。意思決定者を誰にするかという問題も、「権限」(組織の機能)に「誰」(資源)を割り当てるかという資源配分の問題であるが、物や人員の資源配分の良し悪しは、意思決定者を誰にするかという資源配分の良し悪しによって左右される。従って、この問題は、マネジメントシステムの根幹(Root Cause)をなす部分と言える。

意思決定者は誰にすべきか。社長が一番偉いのだから社長なら何でも決めることができる、とか、総理大臣が一番偉いのだから総理大臣なら何でも決めることができる、と言う人もいるだろう。実際、そう考えている人は非常に多い。大企業や官公庁など多くの通常組織は社長や大臣を頂点とするピラミッド型の官僚制組織の形態をとっているのでそのように思うのだろうが、よく考えてもらいたい。鉛筆一本買うのにいちいち社長の許可を得ているだろうか。鉛筆一本買うにも会社のお金を使わなければならないので社長の許可が必要と考えるのは当然かもしれない。しかし、数人でやっているような小さな企業であれば、ひょっとするとそんな企業もあるかもしれないが、何千人、何万人という人が働いている企業でそんなことになったら、社長はパンクし、他の仕事ができないだろう。実際には様々な意思決定権限の委譲や委任が行われているはずである。そして、社長たりとも必ずしも何でも決められるわけではない。株式会社であれば株主がいる。会社を所有しているのは株主であるので、株主の方が上である。しかし、日々の経営にまで口を挟んでいては株主も日が暮れてしまう。そこで、株主は社長に日々の経営を委任しているのである(所有と経営の分離)。従って、社長たりとも何でも決める権限を持っているわけではなく、幹部人事などについては株主総会を開いて株主の承認を得なければならない。

政府機関、行政機関についても基本的に同じことが言える。日本ではなぜか官尊民卑の思想が非常に強いが、行政機関のトップは選挙で選ばれた政治家が通常は割り当てられる。日本という国の所有者(主権者)は日本国民であり、その所有者たる国民が選んだ人間が日々の運営を行っているだけのことである。さらに行政官は国民が選んだ政治家が作る法律によって権限の委任を受けた範囲内で仕事をしているにすぎない。

しかし、所有者らから権限の委任を受けた人たちが、常にその所有者の期待に沿うように働くとは限らない。また、ルール違反をしないとも限らない。そこで、事前にチェックしたり事後的にチェックするための監査組織や情報公開制度などのようなさまざまなガバナンスの機能が社会には設けられている。さらにひとつの意思決定によって、直接的または間接的に影響を受ける人たちもいる。そこで、通常はひとつの意思決定の前にそのステークホルダーの利害を調整するための調整会議のような場が設けられる。

このように考えると意思決定は、意思決定の対象に関して所有権を有する所有者が意思決定することを基本としつつも、所有者が日々細々としたことの意思決定に関与することが現実的ではない場合には第三者に権限の委任が行われ、委任を受けた意思決定者が各種のガバナンスを受けながらステークホルダーと利害調整をしつつ、日々の意思決定が行われていると考えることができる。

では、所有者はどのような人に意思決定を委任すべきか。これは「速度」と「正確性」という2つの要素によって決まる。

意思決定は常に、可能な限り低いレベル、行動に近いところで行う必要がある(第一原則)。同時に意思決定は、それによって影響を受ける活動全体を見通せるだけの高いレベルで行う必要がある(第二原則)。(P.F.ドラッカー[2001]、「マネジメント 基本と原則」、ダイヤモンド社、192ページ)

ドラッガーの第一原則は「意思決定の速度」を早めるためには、実際に行動を起こす本人またはそれにできるだけ近い人、ピラミッドの階層で言えば、その底辺に近いレベルで行われるのが望ましいということである。また、第二原則は、「意思決定の正確性」を高めるためには、その意思決定に必要な情報や経験を持った人、ピラミッドの階層で言えば、できる限り上のレベルで行われるのが望ましいということである。従って、この2つはこちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たないというトレードオフの関係にあることになり、2つの間のどこに置くかという問題に帰結する。

企業の長期戦略のように時間的に意思決定を急ぐ必要がないものであれば、会社全体を見渡すことができる社長が行うべきであるし、文房具の購入などのようにそれが会社のコストなどに大きな影響を与えることもないようなものであり、かつ、すぐに必要なものなどであれば、個々の職員に「月にいくらまで範囲だったら自由に支出してよい」などのように権限を委譲しておき、現場判断で実施できるようにしておけばよいというだけのことである。

一般的にはピラミッドの底辺、すなわち、現場で急いで意思決定しようとすればするほど、正確な意思決定に必要な情報が不足し、全体としては不適当な意思決定になりがちである。そこで日本の企業や行政機関の多くが、緊急時には電気通信や情報システムを駆使して、社長や大臣・知事などといった中央に全ての情報を集めて意思決定しようとする。

しかし、このような仕組みだと、中央は情報が必要なために現場に対して次から次へと「今どうなってんだ! 報告しろ!」と報告を求めるため、現場はこの報告のためだけに貴重な時間と労力が消費され、もっと重要な仕事ができなくなる。さらに、意思決定を行う所が現場から離れていればいるほど電気通信に依存することになるが、この電気通信の手段が大災害のときには往々にして使用できなくなるため、意思決定ができなくなる。更に大組織になり、ピラミッドに中間階層が多数あるような場合には、各中間レベルの組織が通常時と同じような情報の流れを求めてくるため、情報を右から左へと転送するだけの組織が多くなり、これらの中間組織で伝言ゲームが発生し、情報が正しく伝わらなくなり、かつ、情報伝達に時間がかかるようにもなる。緊急時にこのような中央集権的な仕組みをとるのは意思決定の「速度」と「正確性」の両立を図ったつもりなのだろうが、結局のところ、そのどちらも果たせなくなり、現場も中央も大パニックになって被害が拡大する、ということになるのである(⇒初動対応における意思決定)。

このような中央に情報と権限を集中させる仕組みも比較的小規模な災害なら機能するだろう。しかし、大規模災害になればなるほど、仮に中央への全ての情報伝達がうまくいったとしても、中央組織では情報過多となり、マネジメントしきれなくなる。企業のBCPなどでも東京の本社に緊急時に情報と権限を集中させようとしているところは多いが、これも、通信回線が生きている場合で、かつ、地方拠点の1~2か所がダウンする程度の事態の場合には機能するが、地方拠点が何十か所もダウンするような事態になった場合には機能不全を起こす。マイクロマネジメント(トップが末端の細かな作業にまで口を出すこと)が大規模災害時に機能することは100%ない。

ではどうすべきか。逆さまに考えればよいのである。そのヒントは米軍にある。米軍はかつて司令部に情報を集めて意思決定していた。しかし、ソマリアの戦闘時には司令部の命令なしに発砲することができなかったために敵の攻撃にあって多くの犠牲者を出したという。このため、米軍は最前線の兵士に情報システムを駆使して情報を集め、最前線の兵士が自ら意思決定できるようにした。兵士が自ら意思決定できれば当然意思決定の速度は最速となるし、情報システムによって必要な情報があれば意思決定の正確性も増す。正に速度と正確性の両立を図っているのである。このために米軍が開発した情報システムがCOP(Common Operational Picture:共通情報図)である。兵士のヘルメットに小さな液晶画面をつけ、そこにいろいろな情報が表示されるようにしているのであろう。日本ではCOPを中央組織の意思決定のためのものだと勘違いしている人が非常に多いが、米軍の発想は全く逆であり、情報システムを駆使して現場最前線に情報を集め、現場が自ら意思決定できるようにしているのである。この仕組みであれば、仮に電気通信回線が被災し、情報システムが使えない場合でも、少なくとも限られた情報によって不正確ながらも意思決定することはできる。緊急時には「速度」と「正確性」のどちらを優先すべきかと問われれば「速度」である。時間がないから緊急なのであって、多少間違っていても、迅速に意思決定する必要があるのであり、意思決定不全が生じるかもしれないような仕組みとすべきではない。(⇒災害時は逆ピラミッド型組織

では緊急時における中央組織の役割は何か。それは現場の支援に徹するということである。現場からの求めに応じて、資機材や支援物資、専門家、応援部隊の派遣や情報の提供などを調整するということであって、現場で可能な意思決定に介入し、マイクロマネジメントすることではない。

このように「所有」「速度」「正確性」という視点から緊急時の意思決定者について考えると次のようになる。

  • 「緊急避難の意思決定」:津波が発生したときに逃げるか逃げないか、どこへ逃げるか、船が沈没しそうなときに海に飛び込むか飛び込まないか、などの意思決定者は被災者本人である。行政などにできることはその意思決定を支援するための情報の提供のみである。自分の体の所有者は自分自身であり、その意思決定権は自分以外にはない。第三者がその意思決定を強要することはできないし、逆に本人が第三者にそれを委任してしまうのも自分自身に対して無責任である。意思決定に必要な情報を行政などに要求することは当然の権利だが、情報がない場合でも速度を優先し、自分で意思決定して、行動を起こさなければならないだろう。
  • 「応急対応に関する意思決定」:火災の消火方法、けが人の治療方法、倒壊建物からの生存者の救出方法、遭難者の捜索方法、原発事故への対応方法、被災工場への対応方法、交通事故への対応方法など速度が要求される意思決定の権限は、基本的にすべてその現場にいる救助隊にある。現場に適切な専門知識を持つ者がいない場合は、適切な専門部隊(例えば消防車、医師、エンジニアなど)の支援を要求することができる。このような場合の意思決定権限は、初期の対応者から専門家へと引き継がれる。救助隊に救助を求めるということは、自分の力で自分自身を守ることが困難になったということを意味しているので、その時点で救助隊に対して所有者たる人から救助隊に意思決定権限が委任されたとみることができ、専門家に引き継ぐという行為は意思決定の正確性を増すために権限が委譲されるものである。
  • 「復旧に関する意思決定」:被災した道路、鉄道、工場、プラント、オフィスなどを復旧することに関する意思決定は、速度よりも正確性を重視して、全体として最適なプランを立てることが望ましいので、中央組織などのような組織の上位レイヤーが積極的に意思決定に関与すべきだろう。

ここで正確性を犠牲にしてでも速度を優先し、現場に意思決定を任せようとすると必ず問題になるのが「責任」の問題である。しかし、責任を取らされることを恐れて現場が意思決定できなくなると元も子もない。よく優秀な上司は仕事を部下に任せて責任だけはとると言われるが、同じように緊急時には現場に任せて責任だけは社長はとる、というような仕組みを制度的に設ける必要があるだろう。

1995年函館で全日空機ハイジャックが発生したときの北海道警本部長だった伊達氏の言葉:「私の方針は現場の仕事には口を挟まない。できるだけ気持ちよくやれるような環境を整える方向に力をいれようと。ただ、県だとか国だとかを揺るがすような、耳目を引くような大きな事件が起きた時だけは、自分一人で判断してその時は責任を取る覚悟でやらなくてはいけない。それが自分としての心得ですね。」」(⇒恐怖のハイジャック16時間の記録

 

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