村社会の功罪

日本は村社会である。欧米が狩猟型文化であるのに対し、日本は農耕型文化に根差し、その結果、村社会といわれる文化が発達してきた。現代社会において村社会は、地方の田舎にのみ残るもので、都会に出ればそんなことはない、という意見もあるが、都会のマンション暮しにこそ村社会はないかもしれないが、大企業に勤めれば多くの企業内文化は村社会に根差しているし、官公庁などは組織そのものが村である。政界・学会なども「村」以外の何物でもないだろう。

では「村社会」とは何だろうか。当然ながら、それを定義した法律などは存在しない。しかし、ネットをググると幾つかの定義らしきものがヒットする。例えば、コトバンクには、

有力者を中心に、上下関係の厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な村落。村の決まりに背くと「村八分」などの制裁がある。
同類が集まり、ピラミッド型の序列の中で、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を1にたとえた語。談合組織・学界・政界・企業などに用いる。(デジタル大辞泉)

閉鎖的で因習にとらわれた社会を村にたとえて言った語。 「派閥という-から抜け出せない」 (大辞林)

Wikipediaには、次のような特徴が列挙されている。

  • 水利権、入会権、漁業権などの産業上の権益の範囲と一致した広がりを持つ。
  • 長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する。
  • 所属する「村」の掟や価値観・しきたりが絶対であり、少数派や多様性の存在自体を認めない。
  • “掟”に関与しない世間一般のルールやマナーにはルーズ。他者がルールを守る姿にも息苦しさを感じるため、他者にもルーズさを強要。「マナーを守らないのがマナー」と化している。
  • 出る杭は打たれる。長い物には巻かれ、流れには棹を差すべし。寄らば大樹の陰。義理と人情。横並び。
  • 排他主義に基く仲間意識が存在する。
  • 自分逹が理解できない『他所者』の存在を許さない。
  • 同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いており、自我の存在を認めない。
  • 傍目には異端者に寛容だが、相手を理解しているのではなく理解できるものに「改造」しようとしていたり、特例で見逃されているだけであったりする。
  • 白か黒か、善か悪かといった二極論を好む。これが「異端者は自分たちを見下している/敵意を抱いている/自分より劣る存在である」といった思い込みを生みやすい。
  • 弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。
  • 構成員は陰口を好む。
  • 有形物のみならず時間や空間に対する共有意識も強く、プライベートやプライバシーといった概念が無い。
  • 事なかれ主義が多い。
  • 噂話に対しては、真実かどうかを追求するより、噂を既成事実にしようとする。
  • インテリが少数であることと年長者の影響力により、架空の法律のでっち上げ、「神頼み」といった非常識がまかり通る。

村社会は、仲間意識が強く、協調性が強いため、農業や工場労働など共同で肉体労働を行う場合には適している。 かつて、日本の製造業の品質が良く、世界に品質面でナンバー1の評価を得られてきたのも村社会のメリットである。助け合いの精神が強いため、震災復興のような状況でも大きな力を発揮する。

反面、多くのデメリットもある。第二次大戦前のように国全体が戦争一色となると、皆、周囲の目を恐れて異論を唱えることができなくなり、後戻りが非常に困難になる。自分の意見を持たず、持っていても言わず、大衆迎合主義になりやすい。選挙の時に「組織票」などというおかしな票田があるのも先進国では日本ぐらいだが、これも村社会のなせるわざだろう。財政赤字がどんどん膨れ上がっているにもかかわらず、必要性の低い公共事業をこれまで通りどんどんやり、後戻りできなくなっているのも、村社会の意思決定ゆえである。

危機管理上もこの村社会文化がプラスにもマイナスにもなっている。震災復興局面などではプラス面が強く働くが、他方、インシデントに対する準備と対応の局面ではマイナスに働く。

まず、準備面だが、村社会は、「誰かが助けてくれるだろう」みたいな他力本願的な考え方を基本とする甘えを許しあう寄合的な組織文化であるため、「自分の身は自分で守る」という欧米型の自律を基礎においた組織文化と異なり、リスクを直視しない傾向が非常に強くなる。すなわち、欧米のようにリスクを合理的に算定し、便益に見合ったリスクを引き受けるという習慣に乏しい。上記のWikipediaにもあるとおり、白か黒か、善か悪かといった二極論を好む傾向が強いため、安全面でも100%安全か、そうではないか、という視点で物を見る。原発の安全神話がその例だが、この世に100%安全なものなど存在しないのだが、電力会社に100%安全だ、と言わせないと気が済まない。その結果、準備を怠り、福島で見られたような結果に至っているわけである。これは、ある意味、「責任の押し付け合い文化」とも言える。自分で一切責任を取りたくないので、電力会社に100%安全だと言わせ、何かあったときには全部お前が悪い、ということにしてしまいたかったのだろう。

鹿児島県の三反園訓知事が8月26日、九州電力に川内原子力発電所(同県)の一時停止と再点検・再検証を求めたたが、瓜生道明社長は「技術的に大丈夫」と安全性を強調し、一時停止要請を断った。これなども典型的な村社会現象だろう。当然、100%の安全などは存在しないが、原子力安全委員会が定めた基準と審査はクリアして運転されているわけである。「熊本で地震があったので心配だから止めてくれ」などという論理が通ってしまうとキリがなくなる。前知事の伊藤氏はそんな必要はないという立場だったが、7月の知事選によって知事が替わった結果である。よく言うと民主主義、悪く言えばポピュリズムである。「もうすぐ、定期検査がありますので、その時に十分な検査を行ってもらいます。しかし、県としても、避難計画の再確認などを至急行う予定です。」などと説明すれば不安を抑えることはできたのではないかとも思う。従って、ある意味、前知事によるリスクコミュニケーションの失敗が原因とも言えるが、村社会でのリスクコミュニケーションは難しい。

更に、毎年9月1日に行われる防災訓練だが、これなども見せることが目的の訓練であり、問題点を抽出するための訓練とは到底思えない。防災訓練と名の付くものは9月1日に行われるもの以外でも同様であり、儀式的な意味合いがつよく、実際の役に立つ訓練ではない。建て前という日本人独特のものの考え方、つまり、現実がどうであれ、うわべだけはていねいにつくろうことを重んじる村社会特有の文化に起因する訓練ということができる。

災害への対応の局面では、セクショナリズムが表に出てきやすい。災害の救助・救援にあたる行政組織は、非常に多階層のピラミッド型組織、すなわち、伝統的な官僚制組織である。ウェーバーによって提唱されたこの官僚制は、正確性や安定性、信頼性などの面で優れている反面、訓練された無能力(以前の状況下で適切な行動パターンだったものが、状況変化の後にも持ち越されてしまい、そのまま継続的に繰返されてしまうこと)、セクショナリズム、目標の転移(規則を守ることが手段であったにも関わらず、それ自体が自己目的化してしまうこと)等の問題を引き起こす。

また、この多階層組織は、情報の伝達や意思決定に非常に時間がかかる。例えば、係員→主任→係長→課長補佐→課長→部長→次長→大臣(知事、社長など)(トップダウンの時はこの逆方向)とまともなルートで情報伝達していたら、伝達に大変な時間がかかると同時に、伝言ゲームのように情報が変形する。大規模な災害が発生したような場合に、このような情報伝達を行なっていれば、意思決定や命令伝達に大変な時間がかかると同時に情報が正確に伝達されない。誤って伝達された情報に基づき意思決定が行われれば、その結果は悲惨である。

時間にゆとりのある平時においては、なんとかなるかもしれない。しかし、時間のない危機的状況が発生した場合には、問題である。つまり、これが、先に述べた「訓練された無能力」を生み、いざ、大規模な災害が発生し、迅速な意思決定が必要な場合でも、責任を負わされたくないので、誰も意思決定しようとしない。

欧米の組織ではフラット化が進行しているのに対し、日本では、依然として、非常に縦長なピラミッド型官僚組織が多くみられ、かつ、このように意思決定に時間がかかり、かつ、意思決定がゆがむ可能性が高いにも関わらず、緊急時にも通常時と同じように通常組織のトップまで上げて細かい意思決定を行う傾向が強いのも、その根底にある村社会が原因だろう。しかし、問題を解決するための方法はないのか。

  • 意思決定及び救援・救助活動を迅速化するためには、災害等の発生状況の全体が見渡せ、どんな援助が必要であり、何をどこへ配備するのが最も効果的であるか瞬時に判断できる現場に意思決定権限を委譲することである。意思決定が迅速化すれば、救援・救助活動も自動的に迅速化する。現場の指揮官以外は、あくまでも現場指揮官からの要請に応じた側面支援とすれば混乱も減る。
  • 情報伝達を正確化するためには、通信用語を標準化すればよい。共通の単語を使えば誤解も減る。異なる組織でも通信連絡がとれるよう共通の通信手段を用意することも必要だろう。
  • セクショナリズムを排除するためには、現場に全ての機関の責任者が集まり、現場で情報を統合・共有し、意思決定を共同で行えばよい。全体の状況が共有されればセクショナリズムは減る。膨大な量の情報を共有し、調整された意思決定を行うためには、責任者が一堂に会し、同じ資料を見ながら、Face-to-Faceで議論し意思決定するのが最も理想的である。無線や電話による電話会議機能で代替できる場合もあるかもしれないが、Face-to-Faceの会議には劣るので、これらは基本的に、指示や報告、支援要請の伝達のみとすべきである。
  • 準備体制を改善するためには、準備体制を評価するための標準化された評価指標を作り、各地域ごとに評価し、問題点を抽出すると同時に、各地域間に一種の競争意識を芽生えさせ、互いに刺激し合わせるという策がある。

上記の改善策を全て含んだシステムは、米国で採用されているICS(Incident Command System)などのように災害対応時の組織編成法などを標準化することと準備評価システムを組み合わせることによって実現可能なのだが、これらの改革を実施する段階でも、村社会の文化が障害となり、なかなか前に進まない。

 

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