災害対応はトヨタのジャスト・イン・タイム方式で

地震発生から10日あまりが経つが、テレビ、ラジオ、新聞等で目立つのは「今被災地で必要なものは何か?」という議論である。専門家なる人物がテレビに出てきては、現地ではあれが足らない、これはもういい、こうしたほうがいい、などなどと自由活発な議論をする。それはそれで結構だが、これらはその一部の先生方が現地へ赴き、ごく一部の人たちから見聞きした、非常に断片的な情報に基づくものであって、決してマクロ的な全体を代弁したものではない、という点を我々は認識しておく必要がある。そうゆう人もいるだろうし、そうではない人もいる、ということであり、人のニーズというのはそんなに画一的なものではなく、多様なものである。必要な情報とは、Aの状況の人が全体の何割ぐらい、Bの状況の人が何割ぐらい、Cの状況の人が何割くらいだ、というおよそでもいいから全体を推測した情報だ。こうゆう情報を専門家なら統計手法を駆使して迅速に発表してもらいたい。現地で1人2人の話を聞いてその話をテレビで代弁することぐらいなら誰でもできる。マーケティングの手法を駆使してもらいたいものである。

そして、このような需要予測というものがほんとうに正確にできるのであれば、政府のプッシュ型支援なるもの、言い換えれば政府による計画的配分で必要十分ということになるのだが、正確な需要予測など災害という大混乱の中では実際には非常に難しいということは容易に推測できる。ではどうすべきか。それが、ここで述べるジャス・イン・タイム方式、すなわち、トヨタのカンバン方式を採用するということである。後工程から前工程に対する要請主義、プル型といってもいい。

資源配分は「最適に配分する」ことが重要なのであって不足してはいけないが、多すぎてもいけない。現地ではすでに食料品などの支援物資は避難所が置き場に困るほど届いているらしいが、このように余分な物資が避難所を占有してしまうと、その分、人の避難スペースが減少する可能性だってあるだろう。これらは経営学でいうところの「在庫」であり、在庫とは無駄な費用である。これらはスペースも無駄にするし、お金も無駄にする。余計な物資の運搬に運用業者等の人員が割かれれば、これらの人員が他の必要な物品の運搬に割り当てることができたであろう時間(これは機会費用「Opportunity Cost」であってやはり一種の「費用」である。)をも浪費する。このように我々は災害時であっても常に最適配分を意識しなければならない。

上記の議論はおおむね食料や住居、生活物品などのような物的資源の分配に関するものだが、災害が発生してから収束するまでの様々な問題を解決するために現場はさまざまな資源を必要とする。資源は、目に見える物品や燃料などの物的資源だけでない。現場に入る自衛隊や消防のような救助隊の人も資源である。人的資源(Human Resource)である。物の購入等に必要なお金も資源であるし、人や物の割当を決めるために必要な情報も資源である。「人」「物」「金」「情報」これらは全て経営学で経営資源と呼ばれる「資源」である。これらの資源を目的を達成するために如何にして効果的に割り当てるか、これを決定し、その効果を継続的にモニタリングして、必要に応じて継続的に改善していくための仕組みがマネジメント・システムと呼ばれるところのものである。従って、まず、必要になってくるのは、決定したり、モニタリングしたり、改善するための「プロセス」である。どんなマネジメントシステムでもまずプロセスをきちんと定義する。もっとも単純化された基本的なプロセスはPDCAサイクル(PLAN-DO-CHECK-ACTION)である。実際には目的に応じてこれらのプロセスが更に細分化されて定義されている。

そして、このプロセスというフローの中で目的の達成に必要な機能(ファンクション)を決め、それらの各ファンクションに対して、人、物、金、情報といった経営資源を割り当ててていく。今回の地震では市庁舎などの防災拠点が地震で倒壊の危機にさらされ使えなくなってしまった、というニュースがあった。これは、防災拠点( 欧米では「EOC(Emergency Operation Center)」と呼ばれている)というファンクションに市庁舎という資源を割り当てていたものだが、災害のマネジメントでは、あるファンクションに特定の資源のみを固定的に割り振っておくことは望ましくない。日本の防災計画では、往々にして特定の資源を固定的にあるファンクションに紐づけている例が多いが、このようなことをすると大概予期せぬ事態に遭遇して身動きがとれなくなる。人という人的資源の場合も同様である。ある特定の人の仕事(つまりファンクションである)を固定的に防災計画の中で規定してしまうと、その人が何らかの事情でいなくなるとそのファンクションが提供されなくなる。必要なのはファンクションであって、特定の人や物ではない。災害対応の指揮官とてもケースバイケースである。米国などでは最初に現場に到着した人が指揮官になるとだけ決まっており、「誰が指揮官をする」とは決められていない。決めることなどできない。

ファンクションと資源の関係は、防災計画では柔軟に考えておかなければならない。実際には、災害が発生してから資源の割り当てを考えざるえない場合がほとんどである。事前に固定的な資源配分を防災計画で決めてしまうことは望ましくない。例示的な意味合いに留めておくべきだろう。

このようにファンクションに応じて資源を割り当てていく方法を「ファンクショナル・アプローチ」という(詳細:「危機管理におけるファンクショナル・アプローチ」参照)。

災害が起きる前にこのファンクションを定義し、日本国中のみんなが共通理解をもっておくことができれば、臨機応変に組織が編成されたとしても、各自の役割をすぐに理解することができるし、代替資源を供給することも容易になるだろう。また、プロセスがきちんと定義されていれば混乱する災害の中でも必要な作業を漏れなく、ダブりなく進めていくことができるだろう。

そして、この仕組みを効果的に動かすためには、各プロセスの中で流れる情報の定型フォーマット(例:米国のICS各様式)を決めておくこと及び各資源のチェックインを管理すること(米国では救助隊や支援物資といったあらゆる資源をStaging Areaという場所にチェックインさせて一旦プールし、そこから必要なだけピックアップしていく)が極めて重要になる。これは、言い換えると災害対応というマネジメントシステムをトヨタのカンバン方式(Just In Time(JIT)方式)のようにするということに他ならない。災害対応版サプライ・チェーン・マネジメント(SCM)と言っても過言ではない。トヨタのカンバン方式では、カンバンという定型フォームを各製造工程(プロセス)の中で行き来させることによって、擬似的な注文生産のような工程を構築し、在庫を極限までなくすことに成功して、世界が注目したマネジメント・システムである。筆者が10年前米国のGWUで米国流危機管理を学んでいたとき、あるFEMA OBの教授が、「Just-in-Time !」「Just-in-Time !」と強調していたことを思い出す。あの先生は筆者が日本人だということ見て、「これはおまえの国から学んだことなんだぞ」と言いたかったのだろう。しかし、我が国ではモノづくりでこそJITが根付いたかもしれないが、それを災害対応に応用するなどどいうことは、思いもよらないことだろう。そんなこと言い出した途端に「災害対応と自動車の製造を一緒にするな!」と言われそうだ。よく考えてみればどちらもマネジメント・システムの問題であり、目的やアウトプットが異なるだけであって、自動車のドアやエンジンなどの部品の代わりに、First Responder(自衛隊・消防・警察等)、DMAT、NPO、ボランティアや支援物資という部品を投入して、一定のアウトプットを産出するための工程に他ならないのだが(災害は千差万別なのでまさに特注の注文生産工程が必要だ)。【「人間は部品ではない!」と怒る人も恐らくいるだろう。しかし、経営科学という観点では、部品=資源であり、人=人的資源=資源である。従って、部品=人である。この点を割り切って考えていかないと仕組みの改善はできない。】

なお、最近の災害ボランティアは、現地のボランティア受付センター(米国のStaging Areaに相当する)で登録後(要するにチェックインである)、ニーズがあるまで待機させ、必要に応じてプールされたボランティアを必要としている家庭などに派遣するという手法をとっているが、これはまさにトヨタのカンバン方式でいえば、後工程が前工程に必要なときに必要なだけ必要な部品を取りにいっているのと同じことである。20年前の阪神大震災やナホトカ号油流出事故のときは、ボランティアの管理ができていなかったため、ウロウロしていたボランティアがかえって現場の邪魔になっていたことを反省して、現在のような仕組みになったのだろう。言い換えれば、ボランティア団体の方が、一歩先にいっており、政府部門の方がまだ改善されていないということになる。

以上述べたことは災害対応(インシデントマネジメント)を標準化するということに他ならず、我が国の災害対応の仕組みの中で決定的に欠けている部分であり、今回の地震の場合でも全ての問題は「最適な資源配分をもたらすための仕組み」の欠如という課題に帰結する。

マネジメントシステムが標準化されていれば様々な資源配分がもっとスムーズに、かつ、最適に実施されるはずである。災害対応について考える前にトヨタのカンバン方式について学んでみてはどうだろうか。

参考図書:トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざして・・・ 大野 耐一

 

~ICSとはトヨタのジャスト・イン・タイム方式を災害対応に応用したものである~

 

 

組織化コストの削減

以前の投稿で述べたとおり、物的な標準化、例えば、乾電池のサイズや電圧、電源プラグの形、携帯電話の通信方式、消防ホースのプラグの形などを決めてしまうということは、どこの企業が作った物をどこから持ってきても使えるということであって、その物と物の間にコンバーターや翻訳装置のようなものを挟む必要がなくなる、つまり、組織化コストを削減できるということがメリットである。これらは、物と物の間のインターフェースを決めるということだが、同様に人と人、人と組織、組織と組織の間のインターフェースを決めてしまえば、どこからどのような人や組織がやってきても、同じ仕事をしてもらえるということになり、個別にその都度、人に説明をしなくてもよい、ということになり、やはり、組織化コストを削減できる。つまり、考え方は物と物の間のインターフェースの場合と全く同じである。

ただし、人を対象にした場合には物のように目に見える形や電気的な特性のようなものがないので多少わかりにくい。どうやってやるのか、ということになると文書化、マニュアル化である。やり方や権限、流れ、など、いろいろなことをあらかじめ定義し、決めておき、あらかじめ頭の中に入れておいてもらう、という方法によらざる得ない。人によってはその身についている内容が違うこともあるだろうから、全てのことを知っていれば何でもすることができるわけだが、部分的にしか知らなければ組織の一部分についてなら仕事をすぐにしてもらえるということになる。資格制度というのはそのためにある。

ISO9000などのISOマネジメント規格といわれるものは、基本的に組織の間のインターフェースの在り方について定めている。ISO9000などの認証を得ようとする組織は、規格によって定められた様々な内容の文書やマニュアルを作らなければならない。そして、それらの内容を組織の構成員(会社であれば社員)に対して教育しなければならない。そうすれば、特定の人に依存することなく、誰がやっても同じアウトプットを出すことができる、ということになる。言い換えれば、組織と人の間の組織化コストが下がっている。一個人に属する「暗黙知」に依存する必要がなくなるため、言葉は悪いが人の交換が可能ということになり、製造業などにおいては誰がやっても一定の品質の物が常に生産できる、ということがある程度保証される。従って、ISO9000などの認証を得た企業が政府の安全基準検査などを受ける場合には、生産物は全て同じ品質であるということが推定できるので、生産物ひとつだけ検査すれば十分ということになる。しかし、ISO9000がない企業の場合はバラツキがあるかもしれないので、基本的に全部検査しなければならないということになり、検査だけでも大変な労力が必要になってしまう。

米ICSなどの場合は、組織の間のインターフェースのみならず、組織と組織の間のインターフェース及び人と人との間のインターフェースも定めている。大災害などの場合には、多数の組織が災害現場で共同して作業にあたる必要が出てくるが、その場合においてもそこに集まる組織と組織の間のインターフェースを決めておけば、迅速にどんな組織でも、災害現場にできるであろうより大きな組織に組み込むことができる、ということになる。また、逆に小さなインシデントの場合にはその現場に集まる数人の人で臨時に迅速に小さな組織を編成することもできる。言い換えれば、組織と組織、組織と人、人と人の全ての間の組織化コストが下がっている。米国でICSを「プラグイン組織」とか「モジュラー組織」などと呼んでいる所以である。

米国に日本の災害時に協力してもらうということまで考えたら、米国のICSをそのまま日本に輸入してしまうのが米国と日本の間の組織化コストを下げることができるので最も理想的である。しかしながら、米国と日本の間にはすでに大きな言葉の壁が存在しており、日本語と英語の間は一対一に対応しておらず、また、制度的違い、価値観の違いなども多数あるため、コピペすれば問題が解決するというような安易なものではない。一部の企業などは横文字を輸入しても違和感がなくスムーズにいくだろうが、日本全国津々浦々、山の中の田舎まで将来的には普及させなければならないことを考えたら、最大多数の日本人にとって理解しやすい、言い換えれば、組織化コストが低いシステムを開発したほうがいいだろう。恐らく、日本国内で発生するインシデントの99%は日本人のみによって対応しているであろうから、残りの1%のために米国に合わせるというのも合理的ではない。

また、日本人は米国のものならきっとよいものに違いないと考えがちであり、なんでも米国のモノマネを今でもしたがるが、米国のICSをモノマネして組織だのを編成しただけではなぜそれがよいのかというのが、直感的には理解しにくい。米国の場合は暗黙の常識として明確に書いてない部分がかなりあるように思う。意外とドイツのICSを定めたDV100という規則を読んだ方が重要な項目が全て規定されており、どんなことを決めておけばよいのかということが、わかるかもしれない。

実際問題としては、ISO9000などがあまりうまくいっていないように、組織の標準化というのはそんなに簡単なことではない。米国でICSの普及に30年を要していることからもそれは推定しなければならない。組織と組織の間のインターフェースとして決めておくことができる要素にはいろいろあり、1%決めることも100%決めることもできるわけであるので、一体どこから入っていくのがよいのか、順序なり、長期的な戦略なりをまず検討した方がよいのではないだろうか。現在、我が国おいてもすでに様々な法律によっていろいろな規制があるが、それらはある意味、組織と組織の間のインターフェースを決めているものであるので、今現在標準化された要素が全くないというわけではない。日本の役所と役所の間の壁は外国に比べるとかなり高いのが現実であり、まずは標準化のための戦略が必要だろう。

 

標準化とは何か?

標準化とは一言で言うと「組織を作る手段」である。それも何か特別な目的のために誰でもが組織に参加できるようにするためのものである。なお、ここでいう組織とは、人と人との間のものだけではない。物と物、物と人の間でつながったものまで含まれる。

標準化と言えば、その本家本元は国際標準化機構(ISO)であるが、ISOでは実に様々な種類の物やマネジメントシステムの標準が定められている。ISOでは「標準」を

「関係する人々の間で利益又は利便が公正に得られるように、統一し、単純化を図る目的で、もの(生産活動の産出物)及びもの以外(組織、責任権限、システム、方法など)について定めた取決め。 」 (JIS Z 8002:2006)

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