北朝鮮ミサイル:迅速な意思決定が必要

昨日、北朝鮮が発射したミサイルが秋田県沖のEEZに落下したことが大きな社会問題になっているが、次の2つの点を指摘したい。

1.航行船舶及び航空機に対する警報が発令されていない

報道を見る限り、北朝鮮は、今回の発射に先立ち、航行船舶に対する危険を知らせる航行警報(Notice to Mariners)も、飛行する航空機に対して危険を知らせるノータム(Notice to Airmen)も発していない。ミサイルの試験であろうが、人工衛星の打ち上げであろうが、船舶や航空機に対して危険を生じさせる行為である以上、船舶航行警報であれば国際海事機関(IMO)、航空機へのノータムであれば国際民間航空機関(ICAO)によって定められた手続きにより、関係国に事前に通知するとともに、船舶や航空機に対して危険な海域や空域に入らないよう通知しなければならない。これをしなければ、万一、航行船舶の頭上にミサイルが落ちてきたり、航空機にミサイルが当たったらどうするんですか、ということになる。

報道では「国連安保理決議違反だ!」ということばかり、大きく取り上げられているが、どちらかというと政治的な色彩の強い国連安保理決議への違反よりも、船舶や航空機に危険を生じさせる行為を一般国際法に違反して平然と行った行為の方が、道義的にも責任は重く、IMOやICAOで議論されれば北朝鮮に弁解の余地はないことになる。なお、あまり知られていないのかもしれないがIMOやICAOも国連の専門機関であり、ニューヨークの国連本部で作られた国際法も、IMO(ロンドン)やICAO(モントリオール)で作られた国際法もその軽重に差があるわけではなく、国際法は国際法である。

もう、20年近く前になるかもしれないが、最初に北朝鮮が「衛星」を打ち上げたとき、北朝鮮はやはり、この事前通知をIMOやICAOにしなかった。そのときの運輸省は、IMOやICAOに対して「危ないじゃないか、船舶や航空機に当たったら、どうするんだ!」という趣旨で北朝鮮を非難する決議案を提出した。当然、北朝鮮以外の国は全会一致で賛成してくれるはずだったのだが、IMOでの議論の最中になんと韓国からイチャモンがついた。理由は簡単、決議案に「物体が日本海(Sea of Japan)に落ちた」という一文が入っていたためである。韓国は、この文を「東海(East Sea)に落ちた」に修正すべきだ、と主張した。しかし、これに日本は政治的な理由で引き下がることができない。お互い一歩も譲れなくなってしまった。最終的には、仲介が入り、「日本の近く(in the vicinity of Japan)に落ちた」という表現で双方折り合いをつけた。しかし、議論を聞かされている他の国から見ればあくびが出るようなつまらない交渉だったろう。なお、これは、日本が最初から「in the vicinity of Japan」という表現で案文を作っておけば無意味な時間を費やす必要はなかったものである。

北朝鮮は、それ以来、衛星を打ち上げるときは、一応、IMOやICAOに事前通知はしてきたはずだが、今回、それを全くしていないということになると、それは、あの若々しい大親分の命令なのか、何なのか、よくわからないとしか言いようがない。事前に航行警報さえだせばミサイルの発射試験をしてもよい、というわけではないが、一切の航行警報なしに実施するということは、外国への攻撃の意志あり、と解釈されても仕方のない行為である。

2.日本の意思決定システム

何年か前にも書いたが、防衛大臣の破壊措置命令がなければ、北朝鮮のミサイルを迎撃できないような意思決定システムになっているのであれば、意思決定に時間がかかりすぎ、上記のように、何ら事前通報なく発射される事態となった場合、日本は完全にオダブツである。

日本は大臣の破壊命令がなければミサイルを迎撃できないのか?

日本の役所は、防衛省を含め、非常に縦長のピラミッド型官僚組織であり、極めて長いChain of Commandがある。意思決定に必要なハンコの数と言い換えるとわかりやすいが、現場の担当者から大臣の承認を得るまでに何人が間に入るだろうか。中間の人をすっ飛ばすと「俺は聞いとらん」と文句を言う人が出るため、一つの意思決定に関与する人間の数が、非常に多いはずである。このような仕組みでは、大臣の承認をとろうとしている最中に、日本の国内に落ちてきてしまう。ミサイルが飛んでくるまでの時間と意思決定に要する時間とどちらが早いか、想像すればすぐにわかる。

「自衛権の発動は文民統制の下で厳格に行われるべきだ」という意見もある。それは当然の事だし、理解できる。しかし、時間との戦いになるような意思決定が必要になる場合には、事前に一定の条件を定めた上で、現場に権限を委譲することも必要である。航空自衛隊が領空侵犯機に対してスクランブル発進するときに一々大臣の承認など得ていないだろう。よく考えてみれば、すでに似たようなことはこのように行っているはずである。日本海側にイージス艦を常時一隻くらいは洋上に展開しておき、いざというときは、東京の承認なしにでも迎撃できるような仕組みにしておいてもらわなければ絶対に間に合わない。

日本は、科学技術という観点からは北朝鮮などより遥かに進んでいることは間違いないと思うが、行政機関の意思決定システムが合理的か、という視点で見ると、非常に大きな疑問符がつく。いくら優れた科学技術があってもそれを最適に使うマネジメントシステムがなければ宝の持ち腐れである。村社会の意思決定システムを一度見直してもらいたいものである。

(注:政府は破壊措置命令を常時発令状態にする検討を始めた。)

 

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必要なのは官邸能力の強化ではなく分権化である

朝日新聞デジタルに次の細野証言が掲載された。細野氏は言うまでもなく、原発事故時に首相補佐官として官邸につめていた政治家である。

「頑張れる」吉田氏の判断尊重 事故対応、細野氏が証言

「吉田所長から深刻な声で電話」 細野証言の詳報

「もはや東電では制御不能なんだと」 細野証言の詳報

筆者が注目しておきたいのは次の発言。

「非常に情報が入りにくい状況で、象徴的だったのは12日3時36分の水素爆発。事前に予測できなかっただけでなくて、それがあったという事象も含め官邸には報告もなかった。そこでかなり、情報の流通の遅さというか、なかなかこれは情報が入っていないと感じるようになったんです。」

緊急時に情報の流れが悪くなるのは、今はじまったことではなく、阪神大震災でもその他の事故でも、全て同じ状況を経験している。つまり、当たり前のことである。通常時の官僚制組織の各階層を経由していけば当然、情報伝達に時間もかかるし伝言ゲームで情報も変形する。だからといって、また、官邸機能の強化だ、などと言って官邸箱物システムを強化したところで何も変わりはしない。阪神大震災の後もそうだった。異口同音に「官邸機能の強化!」と言って、各省庁のヘリテレ映像を官邸に直結するシステムを高額の費用を支払って作ったりしたが、あれが役に立ったか? 3・11のとき官邸は、ヘリテレ画像ではなく、テレビ映像を見て大騒ぎしていたに違いない。大災害時にはどのようなことをしても、現場から遠く離れれば離れるほど情報は正確迅速には伝わらない。これは普遍的事実である。従って、このような集権化システムはあればベターだが、基本は、「なくてもよい」という状況にしておくことである。つまり、現場でもっと自律的に意思決定できるような仕組みに変更するということである。

今でも以前と同じような発想の人は多いだろう。学者先生方が、よく「一元化が重要だ!」などと言っているのを見るが、この先生方は何をもって「一元化」と言っているのだろうか? 一度その定義をお伺いしたいものである。官邸への権限の一元化を意味しているのなら、全く馬鹿げている。必要なのは一元化や集権化ではなく、「分権化」である。

初動対応における意思決定

(1) 救急救命士に見る初動対応

如何なるインシデントの場合でも現場における初動対応が極めて重要であるが、不幸なことに我が国では、初動対応ができない、または、規制されている場合がある。なぜ、初動対応ができないのであろうか。これについて、1991年に救急救命士の制度ができるまでの救急対応の状況等を例にとり、考察して見てみよう。言うまでもないが、救急救命士とは、救急車の中で医師に代わって一定の医療行為を実施する救急隊員のことであり、救急救命士として医療行為を実施するためには国家資格を取得しなければならない(救急救命士法第3条)。そして特定行為を行うためには医師の指示の下で行わなければならない(同法第44条)。

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吉田調書より中央による介入と情報発信の在り方について考える

朝日新聞が、福島第一原発の吉田元所長(故人)の調書を独自に入手し、話題になっているが、筆者は次の点に注目している。

『「官邸」からの電話の趣旨は、海水を使う判断は早過ぎる。廃炉につながるから極力、ろ過水なり真水を使うことを考えてくれ、というものだった。』(吉田調書 ー 真水か海水か ー 朝日新聞デジタル

これはすごい。というより開いた口が塞がらない。当時の官邸がこの原発事故を悪化させた諸悪の根源だった証拠といえるかもしれない。中央に現場の細かなオペレーションにまで口出しをさせないような分権的な仕組みの構築を急ぐ必要がある。

『原子力安全・保安院が言い出したのはプレスを止める、すなわち情報統制を敷くということだった。水源の水の枯渇から3号機が冷却不能となり、格納容器の圧力が異常に上昇、福島第一原発では所員が一時退避する事態になっている。こうした3号機の危機をテレビ局や新聞社に一切伝えないで隠そうというのだ。東電は、監督官庁による情報統制を、少しとまどいながらも受け入れた。それを、東電本店の官庁連絡班長が午前7時49分、福島第一原発と福島オフサイトセンターに伝えた。・・・』(吉田調書 2−2

これほんと? 20年前のチェルノブイリのソ連みたいなこと日本の原子力安全・保安院はやったの? これは大変恐ろしい。災害時にこのような情報統制を敷くことを厳しく関係省庁に対して禁止する新しい法律が必要だ。

吉田調書 2−2の最後の部分に次のようなコメントがある。

「吉田の言葉から、暴走する原発を止めようとする第一線の者には、住民のことを考える余裕がないことがわかる。だが、原子炉の刻一刻の状況を理解できるのは一線に立つ現場の者をおいてほかにない。
現場が発信する情報でもって住民避難を呼びかける思想・仕組みをつくらずに、周辺住民を原発災害から適切に逃がすことなど不可能に近い。監督官庁や電力会社が危機情報を隠すことを是とする国においては絶望的だ。」

これは、朝日新聞側の意見だろうと思われるが、非常に重要な点を述べている。日本では、マスコミ対応は現場の仕事ではないと思っている人が非常に多い。しかし、これは上記の理由「原子炉の刻一刻の状況を理解できるのは一線に立つ現場の者をおいてほかにない。」によって間違っていることがわかると思う。欧米のメディアを見ているとほとんどの大事故などの場合、マスコミ対応はインシデント発生現場から行われている。マスコミ対応するのはその現場指揮官である。よく指揮官が外で立ったままマスコミの質問に答えている光景を見るが、日本ではそのような光景をテレビで見たことがない。マスコミの方も現場からの独自の中継などはあるものの、本社、本庁、本省、官邸といった中央組織の発表ばかりを追う傾向がある。これではダメだと思う。米ICSというのは現場の仕組みだが、その現場組織に広報官という者がおかれ、そこがマスコミ発信の中心になる。日本の文化的背景、つまり、「責任」をあまりにも多く皆が意識しすぎているので、このような現場から発信させる仕組みを作るのはなかなか難しいかもしれないが、この吉田調書を読めばそんなことは言っていられないということがわかると思う。現場がマスコミ対応しなければならない。

 

そもそもインシデント・コマンド・システムとは何か?

〜標準化自体が目的でありメリットである〜

See ⇒ 標準化とは何か?

最近は政府レベルでも、災害時のマネジメントシステムを標準化する必要性が少しずつ認識されてきており、まだ、ごく限られた一握りの人々の間ではあるが、検討会や勉強会が開催されている。国会議員の先生から筆者にも声がかかったのでボランティアで協力しているところであるし、民間でも、リスク対策ドットコムがインシデントコマンドシステム(ICS)の特集を実施したり、セミナーでICSの特集をやってみたりとアメリカで流行っているICSとは一体何なんだ、と関心をもつ人が少しずつ増えている。それはそれでよいことだ。

しかし、インシデント・コマンド・システムとは一体何なのか、そのメリットは何なのか、何をもってICSと定義するのか、などの点についての理論的背景については官民学を含め、まともに理解している人はどうもいないようだ。筆者は、かつて海上保安庁に勤めていた際、もう10年以上前のことだが人事院の留学制度でジョージ・ワシントン大学危機管理スクール(ICDRMという一種の危機管理専門大学院)にてこの種の理論を勉強した。これは大学院大国のアメリカでも極めてマイナーな大学院コースであるので、恐らくこの種の学問のために留学した日本人は筆者くらいしかいないのだろう。筆者は、その後、オーストラリアのボンド大学でMBAも取ったが、この両方を勉強してみると非常事態のマネジメントシステムと普通の企業経営とは大した違いがないものであり、どちらもマネジメントシステムの一種であって、その目的と時間軸が異なるだけのものである、ということに気がつく。

ある会合での他の先生方の発言を聞いていると「日本ではICSは無理だ!」とか「ICSを実践しなければならない。」などという意見があった。しかし、このように主張する場合、そもそもICSとは何なのか、どのようなものが無理なのか、何を実践すればICSを実践したことになるのか、という点をきちんと定義しなければ無意味な意見だろう。はっきり言ってしまえばアメリカと全く同じシステムを導入しようとしてもそれは確かに無理なことである。

最初に言っておきたいが、ICSとは何なのかは国際的には何も決まっていない。ICSという名のシステムを導入している国は、米英加独豪などいくつかあるが、その内容は国によって様々であり、国連等において国際標準化されているものではない。インターネットなどではアメリカのICSが主として紹介されているが、それが全てではない。

そこでICSを「アメリカの緊急時マネジメントシステム」という定義にしてしまうと、どこかの先生が言ったように「日本にICSを導入することは無理」ということになる。言い換えると「アメリカのICSと同じICSを導入することはほぼ非現実的」である。言語体系も価値観も現状の仕組みも全く異なる中で、アメリカのマニュアルをコピーし、日本語に翻訳して実施すれば日本の災害時におけるマネジメントが改善すると考えるのは、極めて浅はかな発想と言わざるえない。ある人は「Operation」を「運用部門」と訳し、他の人はこれを「実行部」と訳し、さらに別の人はこれを「事案処理班」と訳してみたりと人によって1つの単語の翻訳や解釈自体すらバラバラであるが、このように解釈がバラバラな状況下においてアメリカのマニュアルを訳して日本で即座に実施できるわけがない。即座に何か効果があると思うのは少々短絡すぎる。このように解釈がなぜ分かれるのかというと日本語と英語に間に非常に大きな概念上のギャップがあるからである。このような概念上のギャップがある中で下手な翻訳をして現場に浸透させようとすれば、現場は理解できないので大混乱を起こし、「なんでこんなことをしなければならないのだ〜!」などとの空気が広がり、正のメリットよりも負の弊害の方が大きくなるのは間違いない。実際にISO9000やISO14000という欧州発のマネジメントシステムが日本に紹介されたとき、このような空気になった。このため、私が以前、「ICSとは標準化されたマネジメントシステムである。」との説明をある会合でしたとき、何人かの人が「またISO9000みたいなことをするのか〜」と拒絶反応を示した。どうも「標準化」と聞くとISO9000などの悪いイメージを持つ人が多いようだ。

ICSの正しい定義は「インシデントに対応するための標準化されたマネジメントシステム」である。マネジメントシステムというものは、その良し悪しは別として、如何なる組織にもすでにあるものであり、そのようなバラバラなマネジメントシステムの中でもインシデントへの対応に係る部分のみを統一したものがICSであると考えればよい。言い換えれば、普段は異なる複数の組織を緊急時にはあたかも同一の組織であるかのごとく扱うということである。標準化し、組織間のコミュニケーションコスト(経済学でいう取引コストの一種)を削減するということが最大のメリットである。つまり、「標準化」すること自体にメリットがあるのであり、これをとったらほとんど意味がなくなるものである。従って、イメージは悪いかもしれないが「標準化」のメリットをまず強調した上で、今後、制度構築や世論へのアプローチを行っていかなければならない。

「標準化とは何か?」 参照

「標準化」の意味は非常に広いものであり、標準化できないものはないと言ってもよい。わかりやすいものでは、携帯電話や乾電池である。携帯電話は通信プロトコルや無線インターフェースがITUという国際機関で標準化されているから、世界中どこの国へ持って行ってもつながる。乾電池も単1だの単3だのというサイズがISOで標準化されているから、世界中どこに行っても同じサイズのものが売っている。日本語などの言語も国内で標準化されているコミュニケーションのための道具と考えることができ、「桜」といえばあの4月に咲く美しい花、と日本人ならイメージすることができるのは皆が共通認識を持っているからである。しかし、言葉は国際的には標準化されていないので、米国で日本語を喋ってもコミュニケーションできないのである。同様な発想で組織というものも標準化できるのではないだろうか、との意見がある日ISOという国際機関に持ち込まれた。その結果生まれてきたものがISO9000やISO14000というマネジメント規格と呼ばれているものであり、組織のあるべき姿を標準化したものである。ISO9000であれば、一定の品質の生産物を産出するために必要なプロセスや意思決定の仕組みを要件として定め、定められた要件を満たす企業等に証明書を発行し、「この企業には一定品質の物やサービスを作る能力がありますよ」と権威ある機関がお墨付きを与える、というものである。注意しておかなければならないのは、ISO9000を持っている企業が「良い品質」の物を作ることは保証されないということである。あくまでもISo9000を満たす企業は「一定の品質」の物を安定的に産出する能力があるということが強く推定されるにすぎない。

マクドナルドを例にとってみよう。マクドナルドではどこのお店に行っても全く同じ品質のハンバーガーを同じように短時間で買うことができる。サービスや店員の挨拶の仕方までどこへ行っても同じである。一見何の不思議もなくいつも食べているが、よく考えてみればこれは不思議なことである。そこで働いている人や店長も異なるのになぜ同じになるのだろうか。実はこれはマクドナルトという1つの企業の中で各店舗におけるプロセスや意思決定の仕組み、サービスの仕方、それに必要な資機材に至るまでが非常に詳細に標準化されているからである。言い換えればマニュアル化されているのである。職員は研修等でそのマニュアルを徹底的に覚えこまされ、訓練も受けている。だから、どこに行っても同じハンバーガーが食べられる。マクドナルドは当然ISO9000の要件を満たす企業であろう。なぜならば、「一定の品質」のものが安定的に産出されているからである。

このようにマネジメントシステムを標準化、言い換えればマニュアル化すると一定の品質のものが短時間で得られるようになる。そのためには、権限の現場への移譲なども伴わなければならない。マクドナルドの各店舗がその本社にお伺いを立てなければならない仕組みになっているとしたならば、このように短時間でハンバーガーは出てこないであろう。日本では福島第一原発事故時に首相官邸が「水を入れろ」とか「ベントしろ」などという非常に細かいことに口を挟んでいたが、これは各店舗におけるハンバーガーの焼き方についてまで本社どころか総理大臣が口を挟んだようなものであり、如何にプラスにならない行為であるか多くの人に考えてもらいたい。

複数の組織間で標準化の例としてはBTOパソコンが挙げられる。BTOとはBuilt To Orderの略、すなわち、顧客からHDDの容量やCPU、オプション装置の有無などの希望スペックを聞いてから注文生産されるパソコンである。注文生産と聞くと時間がかかると誰もが思うであろう。しかしながら、BTOパソコンは注文してから希望のスペックにあったパソコンが手元に届くまでは数日であり、驚くべきほど早い。これも、システムが非常に高度に標準化されているため可能になっているものである。ところで、BTOパソコンを作っているのはひとつの企業の工場で作られているわけではない。HDDはどこどこ、ディスプレイはどこどこ、RAMはどこどこというように別々の企業が生産しているものが大半であり、企業の垣根を超えてオーダーが瞬時に伝えられ、顧客の希望に沿った部品が用意され、瞬時に組み立てられ、顧客の元に届けられる。場合によっては国境を超えた別の国にある企業間でこのやり取りが行われているものさえある。これは、部品の規格や企業間でやり取りされるデータのフォーマットなどが高度に標準化され、それを瞬時に伝達する仕組みがあるから可能になっているものである。このシステムはサプライチェーン・マネジメント(SCM)と呼ばれているが、言わば企業の垣根を超えたトヨタのカンバン方式(Just In Time方式)である。

そして実は災害マネジメント、緊急事態へのマネジメントというものもこのように標準化することによって、迅速かつ高品質な対応を提供することが可能になる。災害等の緊急事態は時間との戦いになるのは言うまでもない。時間とともにどんどん被害は広がっていくものである。迅速な意思決定と迅速な対応は必要不可欠であるが、日本の場合、これが極めてトロい。非常に遅い。非常事態にあっても役所が縦割りで縄張り争いをしたり、責任の押し付け合いをする。あちこちに◯◯対策本部というものがたくさんできるが書類を右から左に転送しているだけであり、そこが何を意思決定しているのかさっぱりわからない。個々の職員は一生懸命やっているのは事実である。しかし、それが国全体として最適化されていない。これが現実である。ただし、各省庁が単独で対応するような場合、例えば、海上保安庁が単独で海難救助を実施する、消防が単独で火災を消す、警察が単独で事故に対応する、などのような場合は大きな問題なく、スムーズに行われる。これはなぜかというと各省庁には自分の省庁にのみ適用されるマニュアルが訓令や通達という形で存在するからである。日本人はこのようなマニュアルがあればきちんと動く。そうゆう緻密さがあることは間違いない。しかしながら、全省庁に適用されるような横断的なマニュアルがない。だから、動けないし、動かないし、責任の押し付け合いをする、ということになるのである。そして、この組織横断的なマニュアルに相当するものがアメリカなどで導入されているICSだ、と考えてもらうとわかりやすい。各省庁のみに適用されるマニュアルもよく分析してみれば、他の組織と共通化できるプロセスや機能や装備というものはあるものである。言い換えれば、共通化できるものとできないものとがある。共通化できるものを共通化することができれば、組織の垣根は低くなる。例えば、各省庁の保有する無線機は周波数もデジタル方式も異なるが、これを共通化するだけでも意思疎通は改善し、効果は絶大である。さらにその通信の中身である言語、用語、単語の定義なども共通化すればさらに意思疎通は改善する。さらに情報交換のフォーマットも共通化すれば情報の漏れやダブリがなくなる。どのようなプロセスでだれが意思決定をするのかが決まっていれば意思決定も迅速化する。目標管理(MBO)を採用すれば現場の自立性が更に高まる。ICSとは簡単に言えばそのようなものである。

日本は阪神大震災や東日本大震災などを経験しているはずだが、緊急時のマネジメントシステムを改善することに関しては誰も何も手をつけて来なかった。何も変わっていないといっても過言ではない(原子力災害に関しては10年前に原子力災害対策措置法という法律ができ少し改善されたがその他は無策)。変わらない理由は幾つかあるだろう。1つには、役所のマネジメントシステムが目に見えにくいという点があげられる。2つ目は、役所の人事異動が激しすぎ(1年から2年でゴロゴロ人が変わる)、このような複雑かつ根本的な制度改正ができない、または、できる人がいない、という点もある。さらに3つ目としては、どのように改善したらよいのか、あまりよいモデルがなかった、という点もあるであろう。少なくとも3つ目のモデルとしては、海外のICSやインシデントマネジメントという概念が目に入ってきているようであるので、手元にあると言える。しかし、残りの2つも手強い。まず、役所のマネジメントシステムを目に見えるものにしなければならない。そして、役所の人事異動の周期も改善する必要がある。少なくとも災害、防災関係者は10年くらい異動がないというくらいにしなければならないであろう。災害などというものは10年に1度くらいしかない。折角、貴重な経験をしたスタッフを変えてしまって何が改善できるのか。全く、愚かである。なお、そもそも、役所はなぜ、このような超短期の人事異動を繰り返しているのかというと一言で言えば「責任回避」のためである。いろいろな経験をさせるためだとか業者との癒着防止のためなどという人もいるが、それは言い訳だ。いろいろ浅く広く経験するということは全てにおけるド素人を作っているということであり、災害時など短時間での意思決定と専門的知識が要求される場面では極めてマイナスに働くことになる。全てのスタッフを専門職化せよとは言わないが半分くらいのフタッフ、せめて防災関係者くらいは専門職化し、10年くらい異動がないようにしないと何もできないし、緊急時にロクな対応ができないであろう。

話が多少横道にそれたが、要は、災害時、緊急時におけるサプライチェーン・マネジメントのようなシステムを作ることが必要だということなのである。なお、ここでパソコンの部品に相当するものは、消防の部隊であったり、DMATのような医療専門チームであったり、海上保安庁のような海難救助の専門部隊であったり、警察の部隊であったり、道路の復旧をする自衛隊の部隊であったりするかもしれない。これらは部品といってもパソコンのHDDのような物ではなく、人や資機材の集合体と考えたほうがよいだろう。そして、この集合体を専門的には「ファンクション(機能)」と呼ぶ。災害の種類や大きさによって必要なファンクションは当然異なる。このような考え方はアメリカなどでは「ファンクショナル・アプローチ」と呼ばれている。千差万別の災害に対し、必要なファンクションを柔軟に組み合わせることによって解決する。そして、このファンクションを高度に標準化しておくとともに通信方式なども標準化しておき、いつでも誰でも瞬時にオーダーできるようにしておく、ということがICSの目的であり、本質である。このように見てみると、災害対応とはオーダーメイドのパソコン作りとあまり変わらないということが理解できるであろう。

標準化とは極めて広い概念であり、何でも含まれる。意思決定の権限を誰に与えるのか、どのような本部を作るのか、どのような手続を踏むのか、などといったことも全て含まれる。そして、これらの要素は必ずしも日本において全く標準化されていないわけではない。災害対策基本法や原子力対策特別措置法などといった法律で、さまざまな仕組みはすでに標準化されている。しかし、米国などのようにもっと詳細なファンクションやプロセスまでをも標準化する必要があるということなのである。従って、米国と全く同じICSを日本に導入するということは到底非現実的な話であるが、さまざまなマネジメント要素を標準化するということ自体は決して不可能なことではない。すでに部分的には標準化されているものはあるので、これらをどのように修正し、かつ、追加的に何を標準化すれば普段は別々の組織が緊急時には単一の組織であるかのごとく、スムーズかつ迅速に活動することができるようになるか、ということなのである。言い換えれば「最適化」作業だともいえるものである。

筆者は、「日本にインシデントコマンドシステムを導入する」とか「日本版ICSを構築する」という表現は混乱を招くものだと思っている。米国でもインシデントコマンドとインシデントマネジメントの違いは不明確である。代わりに「日本のインシデントマネジメントを標準化する」ということを目標にした方がわかりやすいし、やらなくてはいけないことを正確に表わすのではないかと考える。しかし、ここで問題になるのはインシデントの定義である。インシデントとは一体何か? ISOには次の定義がある。

Incident = “Situation that might be, or could lead to, a disruption, loss, emergency or crisis”  (ISO22300(2.1.15)) 「中断・阻害、損失、緊急事態又は危機になり得る又はそれらを引き起こし得る状況」

インシデントを「危機」とか「事案」とか訳している方もいるが、これらは不適当である。実はこれに相当する日本語が存在しないのである。東日本大震災のように最初から大災害のものもインシデント、日々発生しているような交通事故もインシデント、医療事故もインシデント、航空機がニアミスを起こすのもインシデントであり、火事もインシデント、企業の工場で生産ラインが止まってしまうのもインシデント、製造ラインに農薬を混入されるのもインシデント、パソコンがウィルス感染するのは情報セキュリティインシデント、みな全てインシデントである。そもそも、かつては事故(アクシデント)が発生する一歩手前の状況がインシデントと呼ばれていたのだが、事故などが発生した後でもほっておけば被害は拡大していくわけであり、その意味ではその事故自体がまた他の事故や危機の発生する一歩手前と考えられるという観点から目に見える事故が発生する一歩手前の状況からすでに目に見える事故や災害が発生してしまった状況までをも含めてインシデントと呼ばれるようになり、ISOではそのような定義がされたのであろう。突発的な出来事で、迅速な対応が要求され、即座に対応しなければ被害が広がっていくものは全てインシデントという言葉で含有されるのであり、インシデントには大小様々、種類様々なものがあるということである。決して危機とか大災害だけを指すものではなく、また、事故が起きる一歩手前の状況のみをインシデントと呼ぶわけでもない。普段発生しているような小規模なインシデントから10年に一度しか発生しないような大規模なインシデントまで、全てを同列に扱うこと、これがインシデントマネジメントの基本であり、それを可能にするのがファンクショナル・アプローチという発想なのである。なお、適当な日本語が存在しない以上、インシデントは外来語としてそのまま普及に務めた方がよいのではないかと思っている。

なお、マネジメントには継続的な改善が必要不可欠である。つまり、現状を踏まえた上で問題点を抽出し、少しずつ改善していかなければ組織全体にはなかなか浸透しない。従って、米国のICSマニュアルを日本の役所などにいきなりもってきて、そのまま実施せよと言われても理解できるわけがない。これは水と油のような関係である。米国のみならず諸外国のシステムを研究し、どのようなマネジメント要素が共通化され、どのような要素が共通化されていないのか、を詳細に分析し、そのような理論的背景を十分踏まえた上で自分たちのマニュアルのどこを切り離して共通化し、どこを共通化しないのかを考えなければ実用的なものはできない。

現在、インシデントマネジメントの標準化に携わっている方々には今一度標準化の目的を考えていただき、何のための標準化なのか、どんなメリットがあるのかを再認識してもらいたいと思っている。

災害対策基本法の改正案

災害対策基本法の改正案・・村井宗明(災害対策委員長)の講演 – YouTube.

災害対策基本法の改正案の概要がこのYoutubeでわかる。要するに、被災地から要求がなくても物資を供給することができる、とか、GIS情報をもっと活用しなければならない、などといった当たり前のことを明記しただけのようだ。

逆に言うと、被災地から要求がなければ物資を送ってはならない、などという規制でもあったのか? そんなのがあるはずないだろう? こんなのは法律に「〜できる」などと権利規定を明確にしなくても、送る側から提案し、「こんなものがあるが必要か?」のように聞いて調整して送ればよい。それだけのことだろう? そして、それらが直ちに必要のないものであれば、現地に一時集積所・待機所(米国ではこれを「Staging Area」と呼んでいる。)を設置し、必要になるまでそこに置いておけばいい。法律に権利規定がないから送らなかった、などというのは言い訳にすぎない。物資は必要なところに必要なものを送らなければならない。不要なものを送ったところでもらった方はゴミが増えるだけである。こんな改正が成立したら、今度は不要な物資が大量に送りつけられるリスクもあるだろう。必要なものを必要な人に送る、これは平時も非常時も同じである。そのためのメカニズムを決めるのが法律だが、今回の改正はとにかく何か改正しないと、という行政側のアリバエ工作ともとれると思う。

GIS情報を活用しなければならない、という義務規定みたいなものを入れたからといっても利用者の側に立ったシステムでなければやはり使われない。この義務規定が入って喜ぶのはサイバーゼネコンだけである。

災害時は逆ピラミッド型組織

1 なぜ多くの組織はピラミッド組織なのか

企業や官庁を問わず、なぜ多くの組織はピラミッド型(経営学上は「官僚制組織」と言います。)なのでしょうか。ピラミッド型組織の起原はマックスウェーバー(1864-1920)の時代にあると言われていますので、少なくとも数百年もの歴史があると思われますが、ひとつの大きな理由は通信手段です。

インターネットのような広範囲の人に同時に情報を送ることができる手段(これらを「1対N型」または「N対N型」と呼びます。)が発明される前は、通信は電話のように基本的には「1対1」で情報を交換するタイプのものでした。電気通信が発明される以前では、人が紙に書いて運ぶか、走って口頭で伝えに行く、ということしかできなかったでしょう。このような1対1型通信しかなかった時代の意思決定は、どうしてもどこか1カ所に情報を集約し、そこで情報を整理した上で、最適な策を選択するという方法を取らざる得ません。

そして、その情報集約拠点は、更に上位の情報集約拠点に対して情報を報告し、上位の拠点は更に全体的かつ長期的な戦略に関する意思決定をしていく、これがピラミッド型組織の基本です。ピラミッド型組織は、ベンチャー企業のように比較的組織が小さい場合には、ピラミッドの階層が少なく、組織の風通しが阻害されませんので、組織の調整機能が有効に働き、組織力を発揮することができます。

しかしながら、組織が大きくなってくるとピラミッド型組織には数多くの問題点がみられるようになります。これはロバート・キング・マートン(1910-2003)らによって明らかにされた「官僚制の逆機能」といわれるものです。

  • 規則万能(例:規則に無いから出来ないという杓子定規な対応)
  • 責任回避・自己保身(事なかれ主義)
  • 秘密主義
  • 前例主義による保守的傾向
  • 画一的傾向
  • 権威主義的傾向(例:役所窓口などでの冷淡で横柄な対応)
  • 繁文縟礼(はんぶんじょくれい)(例:膨大な処理済文書の保管を専門とする部署が存在すること)
  • セクショナリズム(例:縦割り行政、専門外・管轄外の業務を避けようとするなどの閉鎖的傾向)

これらは、一般に官僚主義と呼ばれているもので、先例がないからやらない、規則に示されていないからやらない、上司の了解がないといってやらない、自分たちの業務・専門以外やらない、など日本の役所や大企業によく見られる傾向ですが、私はこれらに加えて、意思決定に非常に長時間を要する点と、情報が上層部に正確に伝わらない点も大きな問題点として指摘したいと思います。

情報が下から上へと各情報集約拠点を経由して徐々に上がっていく、そして、その過程である程度情報が加工変形されるので、上層部にはなかなか正確な情報が上がらないと同時に情報の伝達に時間がかかる、これは災害発生時などの緊急事態の場合には致命的な問題点です。

2 情報革命が組織を変える~崩れゆくピラミッド組織

2002年5月12日に放送されたNHKスペシャル「変革の世紀 第2回 情報革命が組織を変える~崩れゆくピラミッド組織」は、このようなピラミッド型組織が、徐々に変わりつつあるということを伝えた非常に興味深い番組でした。ピラミッド型組織の原点とも言えるのが軍隊ですが、その軍隊でさえもピラミッド型組織を見直しているというのです。

番組は、米国軍隊での中央集権による指示命令系統が見直されたきっかけは、ソマリアでの作戦の失敗だとして、当時の状況を詳細に説明しています。多数の犠牲者が出た地上の車両の状況を、空中の戦闘ヘリは把握しており、悲劇を回避するための情報は握っていました。しかし、命令系統は、司令部から戦闘ヘリという流れで、そのルートで指示がなされたときには、既に悲劇ははじまっていたというのです。軍隊の構成員が命令系統を変えたり、臨機応変に行動することは許されません。この悲劇に学んだ米国陸軍は、兵士一人一人が、責任をもち行動するという方式に改めることになりました。

そのための鍵は情報です。これまでのピラミッド型組織では情報を司令部に集めてそこが命令を出すという流れでしたが、それでは遅いということですので、兵士自らが司令部からの命令を待たずに意思決定をしなければなりません。そのためには、敵の位置や勢力、味方の位置や勢力など意思決定に必要な情報が必要ですが、インターネットを活用した情報技術がそれを可能にしました。兵士が着用しているヘルメットには小さな液晶画面がついており、恐らく、この画面上に航空機や他の味方勢力から集められたあらゆる情報が表示されるのでしょう(このように一枚の地図上に現状を表示させ、関係者で情報を共有するための仕組みをCOP(Common Operational Picture)といいいます。)。兵士はこの画面を見て司令部からの命令を待たずに必要とあれば敵を攻撃する。これが未来の兵士の姿だというのです。米軍ではこのようにインターネット技術の活用やCOPの構築による組織のフラット化が進められています。

番組は、この他、自動車メーカのフォードなどを事例に出して、ピラミッド型組織の対局とも言うべき、「逆ピラミッド型組織」についても紹介しています。これは「上司は部下より偉い」という考え方ではなく、「上司は部下が仕事をしやすいようにサポートする存在」という考え方に立ち、顧客(顧客第一主義の下では最も偉いのは顧客です)に直接接触する営業現場最前線こそが偉いという考え方です。このような組織では、部下の尻を叩いて働かせるということではなく、上司の決断の遅さや、組織内の問題などの要因で部下の仕事を止めないようにすることを重視します。そういう意味で、「上司は部下の仕事を支える存在」「上司は部下への奉仕者」ということになります。なお、逆ピラミッド型組織でも、当然ながら意思決定の鍵となるのは情報ですので、現場最前線の営業マンが必要とする情報は社内情報システムなどによって共有されています。

逆ピラミッド型組織のメリットは、何と言っても意思決定の早さです。現場が上層部にお伺いを立てることなく意思決定できるわけですから、情報が変形することもなく、素早い意思決定が可能です。反面、各現場がそれぞれ勝手に行動するため、同じ事を重複して行ったり、その結果、不必要な対立が発生したりする点がデメリットです。つまり、組織内における調整が不足しがちになります。

3 ベストな組織とは?

経営学者のチェスター・バーナード(1886-1961)は、組織の成立要件として次の3つを挙げています。

  1. 伝達(Communication)
  2. 貢献意欲(Willingness to serve)
  3. 共通目的(Common purpose)

これら3つを私なりに解釈し、組織形態を検討する場合の要素として言い換えると(1)の伝達は「意思決定の早さ・正確さ」、(2)の貢献意欲は「職員の自主性」、(3)の共通目的は「組織内の調整機能」ということができると思います。そして、これら3要素でピラミッド型、逆ピラミッド型を比較すると次のようになります。

ピラミッド型組織 逆ピラミッド型組織
(1)意思決定の早さ・正確さ
(2)職員の自主性
(3)組織内の調整機能

なお、実際には純粋なピラミッド型組織、逆ピラミッド型組織というものは存在しません。あらゆる組織はピラミッド型を基本とした上で、程度の大小はあるにせよ下部組織に意思決定権限の移譲などしていますので、ピラミッド型と逆ピラミッド型を何らかの形で混在させているのが現実です。 組織論の世界では、事業部制、ネットワーク型、マトリックス型、スタッフ制、プロジェクト型など、実に多くの形態の組織がありますが、結局のところ、この2つを様々な形でミックスしたものということができるでしょう。

それでは、災害等の非常事態に最も適した組織形態とはどのようなものでしょうか。私は、国という大きな組織の視点で見た場合には意思決定の遅延や情報混乱を避けるため現場に意思決定権限を委譲した逆ピラミッド型として地方自治体や国はあくまでも現場のサポートに徹するものとし、反対に災害・事故等の現場レベルでは現場指揮官をトップとする強力なピラミッド型として合理的な役割分担を即座に決定・実施に移すことが望ましいためと思っています。なお、現場に構築されるピラミッド型組織は、大きすぎても小さすぎても問題が発生します。大きすぎれば、官僚制の逆機能が働き、機能しなくなります。逆に小さすぎれば、現場職員の負担が増大し、やはり機能しなくなります。このちょうどよい組織を構築するということが非常に難しいわけですが、それを可能にしているのが、現場指揮システム(ICS: Incident Command System)というものです。