リスクと不確実性

麻生財務大臣は、先週、成都で開催されたG20にて「世界経済は緩やかな回復基調にあるとする一方、引き続き下方リスクや不確実性がある」と会議で発言した。

情報源:為替市場の安定に万全を期す構え

内容自体は良いのだが、筆者が気になったのは、「下方リスク」と「不確実性」という語彙。実は、この「リスク」と「不確実性」という単語は、各種の分野によって定義が異なっており、世界的に定まった用法というものが存在しない。

Wikipedia: 不確実性

スタンカプランなどは、

・「リスクは、不確実性と被害の両方を含む概念である。」

として、望ましくない結果のみならず、望ましい結果の発生が確実ではない場合も含んだ概念が「不確実性」であり、そのうちで、望ましくない結果の発生が確実ではない場合を「リスク」と呼ぶ、とした。(Stanley Kaplan[1997], ”Word of Risk Analysis”, Risk Analysis, Vol.17, No.4)

この解釈だと麻生大臣の発言は「リスクがある」という表現で十分なはずだが、わざわざ「下方リスク」といい、加えて、別の概念として「不確実性」も加えている。これは、金融などの分野では、リスクをボラティリティ(標準偏差や分散)と同義として定義し、リスクを「上方リスク」(儲かる方向)と「下方リスク」(儲からない方向)に分けて表現することが多いためであろう。そして、上記のWikipediaにもあるように、発生確率がわかっている場合が「リスク」、発生確率がわかっていない場合が「不確実性」としてわける場合があるので、麻生大臣は、役所表現として「下方リスク」と「不確実性」の両方を単語を使用したのだろう。

しかし、上記はあくまでも経済分野での定義である。数学ではリスクと不確実性の区別はないし、工学や防災分野では、スタンカプランの定義に基づくものが多い。

なお、そもそも「リスク」の定義自体が非常に難しい。スタンカプランも、「米国リスク分析学会が設立されたとき、リスクを定義するための委員会がまず立ち上げられた。しかし、4年間にわたる議論の後、委員会は最終的にはこれを諦め、個々の著者にそれぞれ定義してもらうこととした。」。(Stanley Kaplan[1997], ”Word of Risk Analysis”, Risk Analysis, Vol.17, No.4)と述べており、如何にリスクを定義することが困難であるかを物語っている。

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リスクとは何か?

リスクを定量的に定義しようとした場合には、これを負の期待値として捉えようとする場合と標準偏差として捉えようとする場合の2種類があるように思う。負の期待値として捉えているのは主として工学系のグループ、標準偏差として捉えようとするのは主として金融系のグループである。この他にも様々な抽象的な定義は存在するが、ここではそれらについては省略したい。

1.負の期待値として捉える方法

この捉え方を最初に整理したのはStanley KaplanとB.Johon Garrickが1980年に書いた”On The Quantitative Definition of Risk” (Risk Analysis, Vol.1, No.1, 1981)だと言われる。そこでKaplanの定義をまず簡単に説明したい。

◎定性的な定義

Kaplanは、まず、リスクを定性的に表現するためにリスクと不確実性(uncertainty)の違い及びリスクとハザード(hazard)の違いについて次のように述べる。

  • 「リスクは、不確実性(uncertainty)と被害(damage)の両方を含むものである。」(Risk = uncertainty + damage)
  • 「リスクは、防護手段(safeguard)によって小さくされたハザード(hazard)である。」(Risk = hazard / safeguard)
  • 「リスクは、人によって感じ方が異なるものであり、相対的なものである。」

上記のように定義する場合には、不確実性とハザードの意味を定義しなければならないが、我が国においては「不確実性」の意味・解釈に様々なものがあり、一定ではない。発生確率がわからないものが不確実性であり、発生確率がわかっているものがリスクであるとする説(Wikipedia「不確実性」参照)などもあるが、Kaplanはそんなに厳密に分けているわけではなく、特定の被害が発生することが確実ではない状態を「不確実性」と呼んでおり、不確実性を持つ被害がリスクであると定性的に述べる。そして危険の根本要因(a source of danger)をハザードと呼び、リスクは、防護手段(safeguard)によってハザードを小さくしたものである、とする。このため、防護手段を大きくすればリスクは小さくなるが、決してゼロになることはない、ということになる。更にある人にとっては重大なリスクも他の人にとっては些細なリスクである場合があり、その人の経験や知識などによって決まる主観的なものである、と述べる。

◎定量的な定義

リスクを定量的に定義する場合には、次の3つの要素による関数となる。

  • シナリオ(s)・・・・・・何が発生するのか?
  • 発生する可能性(l)・・・それが発生する可能性はどの程度あるのか?
  • 結果(c)・・・・・・・・それが発生した場合の結果はどの程度か?

そしてリスク(R)とは、発生することが予測される全てのシナリオ(Scenario)を検討し、それぞれのシナリオ毎にそれが発生する可能性(Likelihood)とその結果(Consequence)を推定して、それらを全て足しあわせた和である。これを極めて簡単に表すと、

  •  R = L1 x C1 + L2 x C2 + L3 x C3 + ———-  Ln x Cn

ということになる。つまり、数学でいうところの「期待値」である。

ところで、発生する可能性(l)は、それを発生確率(p)として表すことも、発生頻度(f)として表すこともできる。また、これらを組み合わせた発生頻度の発生確率(probability of frequency)として表されることもある。発生確率にしろ、発生頻度にしろ、過去に経験したことのある事象であればそれをある程度正確に数値化することができるが、過去に経験したこともないような事象の場合は、推定するしかない。この推定作業はかなり主観的なものにならざる得ない。その主観的な確率を何らかの証拠となる事象が現れるたびに修正していかなければならない。

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  • P(B) = 事象Aが起きる前の、事象Bの確率(事前確率, prior probability)
  • P(B|A) = 事象Aが起きた後での、事象Bの確率(事後確率条件付き確率, posterior probability,conditional probability)

これはベイズの定理と呼ばれている。

つまり、まず、何らかの手段によって、リスク発生のシナリオを予測する。そして、何らかの証拠となる具体的な事象が発生する度にその確率を修正していく、という考え方である。危機管理サイクルを米国などは、準備(Preparedness)⇒対応(Response)⇒復旧(Recovery)⇒減災(Mitigation)という順番で定義しており、減災(Mitigation)⇒準備(Preparedness)⇒対応(Response)⇒復旧(Recovery)という順番ではないが、これも実際に災害が発生した後、つまり、証拠となる事象が発生した後に事前に予測した確率を修正し、対策もそれに合わせて修正するという考え方に立つからだろう。

ベイズ理論による確率は「主観的確率」とも呼ばれるため、信用できないなどとして批判的な学者なども多いように思う。確かに過去に全く経験したこともないような事象の場合は証拠となる事象がないために主観的だとして非難されるのも仕方がないのかもしれない。しかしながら、具体的な事象が起こるたびにその確率が修正されていけば当然精度は上がってくる。従って、一概に主観的なものだからあてにならないとしてしまうのも好ましくない。

Kaplanはベイズ理論を「it’s the very definition of logic it- self. It’s what we mean by logical, rational thinking.」(”Word of Risk Analysis”, Risk Analysis, Vol.17, No.4, 1997)つまり「論理的思考そのもの」とまで呼んでいる。つまり、仮説を立て、それを証拠で証明していく、というプロセスを論理的思考と呼ぶならば、ベイズ理論は確かに論理的思考そのものであろう。

では、リスク発生のシナリオというのはどのように推定すればよいのだろうか。Kaplanは、ロシアで発達した手法であるTRIZを勧めている(wikipedia “TRIZ”)。これは「どんな問題が発生するだろうか?」という問いを「私が問題を発生させようと思ったらどのように問題を発生させるだろうか?」などというように質問の内容を言い換えることによって想像力を働かせるというものである。実際にはそんなに単純なものではないようだが、一考に値する。

(参考文献)

  • Stanley Kaplan & B.Johon Garrick, “On The Quantitative Definition of Risk” , Risk Analysis, Vol.1, No.1, 1981
  • Stanley Kaplan, “Word of Risk Analysis”, Risk Analysis, Vol.17, No.4, 1997

 

2.リスクを数学上の「分散(標準偏差)」として捉える考え方

上記は、災害やプラントなどのリスク評価する場合に用いられるリスクの定義であるが、経済学ではリスクを「ある事象の変動に関する不確実性と定義している。つまり、平均値からの誤差、言い換えれば数学上の分散または標準偏差である。(http://dsl4.eee.u-ryukyu.ac.jp/DOCS/error/node18.html参照)

この考え方に立つと、プラスの利益が生まれる場合もリスクに含まれてしまう点が気分的にはよくないが、利得がある不確実性を「アップサイドリスク」、損失がある不確実性を「ダウンサイドリスク」と呼んで分けている場合もある。世間一般では損失のある不確実性を「リスク」と呼んでいる場合が多いようには思う。株などの金融資産の場合は、その確率が正規分布するものが多いため、このような定義をすることがシンプルでわかりやすいとは思うが、ダウンサイドリスクを見る限りにおいてはKaplanの定義と変わらない。期待値として考えると棒グラフのように角角としてしまうが、それを細分化してなめらかなカーブにしたところ、それがたまたま正規分布になるものだった、というだけのことだろう。