オールハザードとは全てを計画することではない

“All-hazards” Doesn’t Mean “Plan for Everything

上記サイトの翻訳:

最新の危機管理における中心的な考え方は、オールハザード計画である。しかし、これは一体何を意味するのか。NFPA 1600 「災害/非常事態管理及び事業継続計画に関する標準」には、可能性の高いハザードとして45個のカテゴリーがリストアップされている。オールハザード計画とは、このリストにあるそれぞれのハザードに対して別々に計画書を作るということを意味するのか。

この質問にいい加減に答えてはいけない。オールハザード計画とは起こり得る全ての事態に対して計画しておくことだ、と信じている非常事態管理者は非常に多い。しかし、実際には、そんなことは不可能なのである。たとえ、全てのハザードを予期することが可能だったとしても、そんなことができるほど十分な資源を持った組織や地域はないし、この世には、必ず、予期せぬ事態というものがある。

オールハザード計画には、2つの要素がある。第一の要素は、リスク分析である。非常事態管理の基本の原則は、全てのハザードを総合的に検討することであるが、NFP1600もこの原則に沿って、「別添Aに記載されているハザードをリスク評価の過程で検討すること」と記している。そして、リスク分析を活用して、優先順位や資源割当を決める。

有限な資源を起こり得る全てのハザードに対する計画を作成するためにつぎ込むのではなく、リスク分析によって、コミュニティーにとって脆弱性が大きいハザードを特定してそこに資源を集中するのである。このようにすると、コミュニティーにとって影響が大きいリスク(注:ハザードではない)に資源を集中させることができる。

オールハザード計画の第二の要素は、機能別計画によって、複数のハザードに対処するための能力を備えることである。 警報発令計画、避難計画、避難所の設営計画などは、あらゆる種類の災害で多かれ少なかれ必要となる機能であり、ほとんど同じような手続きで運営される。このような考え方をすることにより、予期されているリスクのみならず、予期せぬリスクに対しても、多少の修正で対応できるようになる。

オールハザード計画は、すでに実証された考え方である。しかし、これは全ての起こり得るハザードに対して計画を作らなければならない、ということを意味しない。これは、リスク分析の一部として全てのハザードについて検討はするものの、機能別計画や優先順位が決められた緊急時計画によって、有限な資源の最大限の活用を図るものである。

 

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見せかけとしての訓練では不十分

NHKなどでの報道を見ていると、相模原での事件を受けて全国の障害者施設で不審者に対応する訓練が始まっているようだ。確か2001年に発生した大阪の池田小学校での事件の後もそうだった。多くの小学校で警察官の指導を受けながら不審者対応訓練を実施していたように記憶している。訓練を実施することは必要なのだが、問題はその想定とシナリオ、つまり、今回は障害者施設、10年前は小学校というように、事件と同じ施設が狙われているというシナリオに基づく訓練ばかりが行われていることである。日本では、何か事件や事故があると、あまり意味がないということがわかっていても、見せかけを作るためのパフォーマンスとしての訓練が行われることが非常に多い。

正直言って、今回の犯人が無罪放免されて留置場から出てくることでもない限り、全く同じパターンで狙われるなどという確率は限りなくゼロに近い。池田小事件のあと、同じような事件が小学校で発生しただろうか? 全くゼロだったはずである。今回の犯罪は、過激派集団による組織的な犯罪ではなく、いわゆる「ローンウルフ型憎悪犯罪」である。これが組織的なものであるならば、同様なシナリオが発生する可能性は確かに高いが、今回のパターンは全くの個人によるものであって理由もターゲットも独特なものであるので、全く同じパターンの発生確率は極めて低い。

ただし、今回の事件が、人々、特に障害者施設で働いている方々のリスクパーセプション(リスク認識)に変化を与えたことは間違いない。従って、障害者施設の方々の不安感が高まるのは当然であり、何ら不思議なことではない。しかし、実際には、その犯人(リスク源)がすでに逮捕、すなわち除去されている。必要以上に障害者施設の方々の不安を煽るのではなく、障害者施設の方々に対する説得力のあるリスクコミュニケーションが実施されれば、障害者施設の方々のリスク認識、言い換えれば不安を和らげることはできるはずである。

ところで、今回の事件と同じシナリオが発生する確率は極めて低いのだが、他方、日本でも、無差別殺傷事件は多発している。右の表は、7月27日付日経新聞電子版からの引用であるが、同記事にもあるように、これらは、多かれ少なかれ、社会に対して何らかの反感を持つ「ローンウルフ」が過激化した「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」である。欧米のテロと違うのは、宗教的なものでも組織的なものでもなく(オウム事件を除く)、銃を使ったものでもないということぐらいである。表から見ても、同じシナリオで発生しているものはないことがわかる。それは、それぞれのリスク源である行為者本人が逮捕されているからである。

このように全てパターンが異なる場合どうすべきか。これは「オールハザード」と呼ばれる対応手段を準備しておくしかないということになる。「ハザード」とか「リスク源」とか「脅威」など、いろいろな言葉が氾濫しているのだが、防災分野ではリスク源をハザードと呼び、セキュリティの分野などではそれを脅威と呼んでいるだけであって、いずれも、好ましくない結果をもたらしかねない根源的な要因である。

今回のような犯罪の場合はハザードと呼ぶよりも、脅威と呼んだ方がよいのかもしれない。その場合、どのような脅威に対しても効果的に対応する手段ということになる。そんなことが可能なのかと瞬間的には誰もが思うだろう。しかし、アメリカなどで発達している「オールハザード」という考え方は、何のことはない、お客様からのオーダーメードによる特注品の製作工程と同じである。トヨタのジャストインタイム工程と同じことだとも言える。(注:「オールハザード」という考え方は、全てのシナリオを詳細に事前に予測して災害の発生を予防するという考え方ではない。逆に予測しきれなかったシナリオに対して事後的に迅速かつ柔軟に対応して被害を最小化できるよう要所要所を標準化したマネジメントシステムである。)

ある犯罪者は、銃を持っているかもしれないし、他の犯罪者は包丁かもしれない。ある犯罪は、複数人のグループによるものかもしれないし、他はローンウルフかもしれない。銃を持っている犯罪者にナイフで対抗するのは、B29に竹やりで対抗しようとするようなものだし、組織的な犯罪にひとりで立ち向かうのもアメリカ映画に出てくるヒーローのような力を持っている者でなければ無謀である。つまり、個々の脅威に対応するために必要な道具や人数、組織、作戦(これらを総称して「資源」と呼ぶ。)は、全てのケースにおいて異なるということである。

ではどうするべきか。答えは、資源と機能、資源とプロセスを完全に分けたマニュアル(「インシデントマネジメントマニュアル」)を作っておき、そのマニュアルに習熟しておくということである。しかし、実は、このように分けて考えるということが意外と難しい。往々にして、我々の作るマニュアルというのは、「誰が何をする」、「何によってナントカする」、「どの組織が何をする」、「次の仕事は誰がする」などとように資源と機能、資源とプロセスを明確に紐づけて固定的にしてしまうのだが、これが諸悪の根源である。重要なことは、目的を達成するために必要な資源を柔軟に選択することである。銃を持った侵入者がいたとし、目の前にナイフしかなければ、無謀な行動をせず、外部に支援を要請する方がよい。ではどのように外部に支援を要請すべきか、このようなプロセスを明確にしておけばいざというときの現場の混乱はある程度避けられる。

どのような脅威が発生したのか、まず、把握する(敵は何人、敵の武器は何、など)。それに対応するための資源は手元にあるのか、なければどこにどうやって支援を求めるか、現場ではどのような立場の人(誰がという特定の人物名ではなく、「当直長」「その場に居合わせた人の中で最上位の人」などのように柔軟性を持たせておく)が指揮者になって当座の意思決定をするのか、などをあらかじめ決めておき、資源選択の訓練や支援要請の訓練をしておく、そして、このようなマニュアル作成と訓練を今回事件のあった障害者施設だけではなく、様々な組織で実施しておくことが重要だと思われる。なお、オールハザードの考え方を徹底し、作り方さえ間違えなければ、今回のような犯罪リスクのみならず、災害リスクなどにも対応できるはずである。

日本では、「訓練をやりました」という「アリバエ作りのための訓練」、言い換えれば「見せかけ」の訓練が多すぎる。日本は基本的に村社会文化に根差しているため、みんなの和を維持することに過剰に神経を使い、喧々諤々と意見を述べながら訓練や議論を繰り返すのは難しいのかもしれない。必要なのは現実を重視し、熱のこもった議論をしながらマニュアルを作り、その内容の確認と改善のために訓練を実施することなのだが・・・。

 

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オールハザードという考え方(想定外に対処するために)

今回の熊本地震に関する報道でも、5年前と同様、やはり、「想定外だった」というフレーズが目立っている。日本社会は、今も昔も楽観的な想定をおいて、それに対して備えているだけで「安全だ」と自己満足にふける傾向が非常に強い。こんなことをしていてはいつか自然からとんでもないしっぺ返しをくらうだろうということは多くの人が頭の中ではわかっているのだろうが、ではどうしたらよいのだろう、という点に関して提言を述べる学者もマスコミもこれまでのところいなかった。

被害のハード的な予防策(例:建物に筋交いを入れる、堤防を作る、原子力発電所の冷却装置にバックアップバッテリーを設けるなど)を講じたり、発災後の被害を抑えるための道具を開発したりする場合には、確かに想像力を最大限に使って想定(シナリオ)を作る必要がある。しかし、事故や災害が実際に発生した後に対処する方法にまで詳細なシナリオを描いて誰が何をするというように決めてしまうのは、思考の硬直化を招き、シナリオ通り発生しなかった場合に対処が困難になるため大きな問題である。発災後というのは、全くシナリオが予想できないドラマであり、利用可能なあらゆる資源を柔軟に動員して被害を最小限に抑えるしかない。「想定外」の事態が存在するということを想定しておくことが極めて重要などであって、それをせずして「想定外だった」などと言ってはならない。

欧米には「オールハザード」という考え方がある。「ハザード」とは、災害等のインシデントを引き起こす原因となるような危険要因を意味するものであり、地震、津波、原子力災害、台風、テロ、その他、我々の生存を脅かす可能性のある自然現象や事故等を全て含む概念だが、「All Hazard」ということは、種類や規模を問わず、あらゆるハザードに対して、柔軟に対応できるようにするということである(FEMA Guide (CPG 101) 参照)。

「種類や規模を問わず、あらゆる災害に対応できるようにすること」など不可能だという人は多いかもしれない。しかし、ベストエフォートで対応することは可能である。

最初にあえて誤解を恐れずに例えて言えば、これは「トヨタのジャスト・イン・タイム方式で車を作ること」や「オーダーメイドでスーツを作ること」と同じことだ、ということである。車の生産方式には2種類あり、ひとつは多品種少量生産を可能にする「トヨタ方式」、他方は少品種大量生産の「フォード方式」である。「トヨタ方式」では実際にニーズが発生してから最終工程の側から前工程へとさかのぼって必要な部品を必要な量取りに行き組み立てる。このため異なる車種の車でも臨機応変に組み立てることができる。そして完成車の在庫が発生しない。言い換えれば一種の注文生産である。他方の「フォード方式」では、実需ではなく、需要を予測して計画的に生産しようとする。このため、あまり多くの車種は作ることができず、作り過ぎれば完成車の在庫が発生し、作る量が足らなければ機会損失が発生する。スーツの製作も同じ。オーダーメイドスーツの場合、お客様の体の寸法を詳細に測り、お客様の好みの生地や色を十分聞いた上で、世界に一つだけのスーツをお客様のために作る。このため完成品の在庫というものがない。他方、紳士服のナントカみたいなお店では、需要予測に基づき計画的に大量生産されたスーツがあらかじめ並べられている。確かにいろいろな種類のいろいろなサイズのスーツはあるが、100%ピッタリ自分の体や自分の好みにあったものというのはない。また、この方式では、やはり売れ残り、すなわち完成品在庫、または需要を満たさないことによる機会損失が発生する。

これを災害対応に言い換えると「需要を予測する」ということは、「想定を設定する」ということと同義であり、「在庫または機会損失が発生する」ということと「想定外の事態に遭遇する」ということは同義である。つまり、想定外をなくすということは製造業における在庫または機会損失をなくすということと同じということである。従って、製造業が特注品生産するときと同様なマネジメントシステムをインシデントマネジメントに導入すればよいのである。

災害対応とは、確かに目に見えるモノ作りではないが、「被害を最小限に抑え、迅速に復旧するためのサービスの提供」という捉え方をすれば、結局のところ、そうゆう「サービス」を生産するための生産工程であることには変わりない。そして、そのお客様のニーズというのは災害の種類や規模毎に異なり、実に千差万別で事前に予測することが難しい。災害の事前予測、すなわち想定に基づいて災害の種類毎にいくつものテンプレート的なマニュアルを用意しておいたところで、大体、想定外の事態に遭遇し、プロセスが行き詰まるのである。

オーダーメイドにするということは、実需が発生してから必要な資源の組み合わせを考えるということである。そのためには、初めから、全ての災害対応すなわちインシデントマネジメントがオーダーメイドである、という前提でマニュアルなりを作っておく方がよい。「オールハザード対応」=「トヨタのジャスト・イン・タイム方式」=「オーダーメイドのスーツ作り」との所以である。欧米先進国の災害対応の基本的考え方はすでにココに置かれている。ICSというのはそのために標準化された仕組みのことである。

オーダーメイドのスーツは、どのように作られるのだろうか。お客様がお店に行くと、まず、体の寸法を詳細に計測するだろう、そして好みの生地や好みの色も聞かれるだろう、さらにいつ頃までにほしいのか、という納期についても聞かれるだろう。これらの情報をもとにお客様の体に合わせて設計し、お店は生地メーカーに発注し、生地を調達する。生地が届いたら、設計に合わせて生地を切り、ミシンを踏んで製作する。完成したら、お客様に連絡し、試着してもらい、万が一、体に合っていなければお店の責任で作り直すことになる。これらの一連のプロセス自体は、お客様のニーズに関わらず一定であり、普遍的なものである。そして、設計するとか、生地を切るとか、生地を縫うという機能すなわちファンクションも常に必要になり、普遍的である。しかしながら、お客様によって異なるのは、生地の種類や色であり、場合によってはそれを切ったり、縫ったりするために必要な道具も異なってくる。極めて特殊な服で専門的な能力が必要な服だったら、製作に必要な人も異なるかもしれない。すなわち、材料、道具、人など、必要な資源が異なっているのである。但し、製作に使用する生地までも一から製作するとは限らない。幾つかお店側で予め決めておいた生地の中からお客様に選んでもらうだけの場合がほとんどだろう。いちいち生地までも特注していたら、時間も費用もかかり過ぎるからである。使用する道具や人にもあらかじめ幾つかの選択肢が用意されているだろう。情報システムなどの分野では、これを「モジュール化」と呼んでいる。モジュール化をしておけば、材料や道具、人などの資源を選択肢の中から選択するだけなので、特注品でも迅速かつ低コストで製作できる。その意味では、オーダーメイドスーツでも、お客様のニーズを100%満たすものにはならないかもしれないが、それでもお店に並んでいるスーツの満足度が70%位だとすると、オーダーメイドスーツならきっと95%位まで満足度は上がるに違いない。

オールハザード型災害対応の場合も、これと考え方は全く同じである。どんな災害の場合でも普遍的に必要となるプロセスとファンクションのみマニュアル化しておく。対応に必要な資源(救助隊等の人的資源や資機材、燃料等全ての人・物・金・情報を含む。)はモジュール化しておき、選択肢として準備しておく。いざ災害が発生した場合には、各種の資源は現場に急行し、災害現場にてチェックインする。チェックインを済ませた各資源は、出番がくるまで、待機場所(Staging Area)で一旦待機する。現場指揮官は、災害状況をまず調査し、チェックイン済資源の一覧表を睨みながら、問題解決のための計画を立案し、必要な資源に対して、出動を指示する。現場指揮官は、問題が解決されているかどうか常にモニタリングし、計画の修正が必要なら修正し、追加資源が必要なら、政府なり支援団体なりに追加派遣を要請する。

米国などではすでにこの仕組みが確立されている。我が国では、上記のようなプロセスやファンクション(責任や権限を含む。)が明確になっていないから、今回の熊本地震の場合も、現場の詳細な状況が把握されていない、ニーズが明確にならない、などといった初歩的な問題が発生するのではないだろうか。

この仕組みは一朝一夕に実現できるようなものではない。トヨタがジャスト・イン・タイム方式を確立するまでに要したことと同じだけの努力が必要になる。多能工の養成(いくつもの異なる道具を扱えるように訓練すること)、自働化、供給元企業(災害の場合には支援機関と読み替えるといいかもしれない。)との協力関係の確保など、時間のかかる努力が必要である。さらに世論の支持も必要だろう。この仕組みは基本的に逆ピラミッド型の意思決定(現場主義や要請主義と言ってもいい。)を基本に置く。東京に情報や権限を集中させるべきだという意見もあるので、中央集権的な意思決定システムでは機能しないということに関し、幅広いコンセンサスを形成する必要もある(注:現在の災害対策基本法は、一応、「要請主義」が基本になっている)。

参考図書:トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざして・・・ 大野 耐一