那須雪崩事故:改善可能なポイント

今回の雪崩事故に限らず、事故には必ず負の価値連鎖があり、その負の連鎖のどこかが断ち切られていれば8人もの死者を出すという最悪の結果には至らないものである。不幸なことに、AかつBかつCかつDという位に何重にも負の要素が重なったため発生したということであり、我々は、そのような連鎖をどこかで断ち切る努力をしなければならない。そこで、どのような部分で改善が可能なのかについて、頭の体操をしてみると次のようになる。

リスクとは、一般的に、Likelihood(被害の発生確率)とConsequence(発生した被害の大きさ)の積、すなわち、負の期待値として定義される。従って、雪崩インシデントのリスクを減少させる方法は、雪崩インシデントによる被害の発生確率を下げる方法と発生した被害の拡大を防ぐ方法の2つに分かれる。

 

1.被害の発生確率を下げる方法(Reducing Likelihood)

被害の発生確率を下げるための対策は、防災分野では、予防(Prevention)や減災(Mitigation)などと呼ばれることもあるが、細分化すると次の3つに分かれる。

(1)ハザード自体の削減(Reducing Hazard)

 雪崩インシデントを引き起こすハザードは、斜面に降り積もり、滑りやすくなっている雪である。これに更なる何らかの外的要因、例えば、大きな音や強い風、気温などの要素が加わり、それらに起因して大量の雪が斜面を滑り始める。従って、そもそものハザードである滑りやすくなっている雪を取り除いてしまえば雪崩インシデント自体が発生しない。そのための方法としては、空砲を発射したり、何かを爆発させることによって、大きな音を発生させ、その大きな音波によって雪崩を人為的に起こさせてしまう方法がある。一度、大きな雪崩を起こしてしまえば、更なる雪崩はすぐには発生しない。

(2)顕在化の抑制(Reducing Exposure)

 英語の「Exposure」には「隠れていたものが見えるようになる」という意味がある。ハザードも通常は隠れていて表に出てこなければ問題はない。ハザード自体を取り除くことができない場合でも、それが我々の目の前に現れ、危害が加えられるような状態にならなければ問題はない。このように、あるハザードによりインシデントが発生したとしても、それが我々の目の前に現れないようにすることを「ハザードが顕在化しないようにする」と表現する。このための方法としては、ハザードの周りを何か頑丈なもので固める、ハザードとの物理的な距離を広げる、時間的にハザードが顕在化しにくい時間帯を選ぶ、などの方法があるだろう。言い換えれば、物理的空間や時間的空間をマネジメントすることによって、インシデントが発生したとしても、それが直接的に我々の身に及ばないようにすることである。

 雪崩を引き起こすハザードが顕在化しないようにするためには、そもそも冬山に入らない、雪崩が発生しやすい時間帯や季節、気象条件のときには山に入らない、顕在化しそうな時には専門家が警報を発令して人を近づけない、山に入ったとしても短時間で下りてくる、山に入る人の数を必要最小限にする、などの方法があるだろう。

(3)脆弱性の削減(Reducing Vulnerability)

 (1)のハザードの削減は、戦争に例えれば敵を攻撃して殲滅することを意味し、(2)の顕在化の抑制は、敵との距離を離しておくことを意味する。これに対し、脆弱性の削減とは、防御力、守備力を高めるということを意味し、自らの弱点を補強し、インシデントが発生し、それが自らに及んで来たとしても、守りきるだけの力をつけるということである。

 雪崩インシデントに対する脆弱性削減の手段としては、例えば、雪崩防護柵やスノーネットを訓練エリアの周りに張る、あるいは、もっと直接的に雪崩に襲われた時に膨み自分の体が雪の中に埋没することを防ぐ「アバランチ・エアバッグ」を身につけておく、などの方法がある(ただし、あまり一般的なものではないかもしれない)。

 

2.被害の拡大を防ぐ方法(Reducing Consequence)

被害の拡大を防ぐための手段は、準備(Preparedness)、対応(Response)及び復旧(Recovery)という3つのプロセスに大きく分解することができる。

(1)準備(Preparedness)

万一の遭難に対しての備えは、救助される側と救助する側の双方で必要な準備がされていなければならず、双方の連絡体制や遭難時に必要となる装備が備えられ、かつ、必要な訓練が実施されていなければならない。なお、雪崩インシデントへの対応を想定する限り、登山者自らが救助される側にも救助する側にもなりうる。仲間が雪崩に巻き込まれた場合、山岳救助隊などの支援を求めるのは当然のプロセスだが、その到着までには相当の時間を要するため、まずは、現場周辺にて無事だった仲間による捜索救助活動が実施されるのが望ましいためである。

イ 登山者側の準備

 登山者は、雪崩のリスクが完全にゼロの場合を除き、最悪の場合には雪崩に巻き込まれて遭難するという前提で、必要な準備をしておく必要がある。この場合、自分自身が埋まった場合への備えと仲間が埋まった場合への備えの2つに分かれる。

(イ)自分自身が埋まってしまった場合への備え

 雪崩ビーコンを必ず装着し、電池残量が十分であることを確認しておく。雪崩ビーコンには送信モードと受信モードがあるが、通常は送信モードにしておく。受信モードは、(ロ)で述べるように仲間を救助する場合に切り替えて使用する。

 那須での事故時には、高校生や教員を含め、誰も雪崩ビーコンを装着・装備していなかったようである。

(ロ)仲間が埋まってしまった場合への備え

 一緒に登山している仲間が雪崩に埋まってしまった場合、山岳救助隊への通報をして支援を求めるとともに、山岳救助隊の到着する前であっても、更なる雪崩のリスクなどがない場合には、自分達で救助活動を実施しなければならない。雪の下に人が埋没した場合、30分も経つと急速に生存確率が低下するため、一刻も早く掘り出す必要がある。そのために必要な準備は次のとおりである。

 ・緊急通報手段

 自分達だけで仲間を救助できる場合はよいのだが、多くの場合はそうではない。その場合には、救助隊等に緊急連絡し、救助隊等を派遣して貰わなければならない。そのためには、110番通報のための携帯電話、無線機、衛星携帯電話、緊急通報発信機などが必要となる。山岳地帯は携帯電話の基地局が十分設置されているわけではないので、携帯電話は繋がらない場合の方が多いということを認識しておく必要がある。できる限り、携帯電話以外の通信手段も用意しておかなければならない。

・救助するための装備

 雪崩ビーコン、掘り出し用のスコップ、プローブ、マーキング用フラッグなど。仲間が埋まった場合には、まず、雪崩ビーコンを受信モードに切り替えて、雪の下に埋まっている仲間のビーコンが発信している電波を探知する。雪崩ビーコンを受信モードにして測定すれば、埋没者の方向や距離が大まかに分かる。埋没地点が判明した後は、更に詳細に埋没深度などをも確認するためプローブと呼ばれる細い棒を延ばして雪の中に挿し、プローブの先に何かが当たらないかをズボズボと確認する。それがヒットした場合には、人手が十分いる場合にはすぐにでもスコップで掘り出しにかかるべきだが、人手が十分ではない場合は、その地点に小さなフラッグを立て、後からやってくる救助隊にその位置がわかるようにしておく。装備があれば、仲間による迅速な救助も、ある程度できる。

・捜索救助訓練

 上記のような装備があったとしても、それらの操作などに習熟していなければ、やはり、迅速な救助はなかなか難しい。雪崩ビーコンにしても、全く訓練なしにその使い方がわかるようなものではなく、捜索の方法やトリアージによる捜索や救助の優先順位付け、人員資機材などの資源の組織化、現場における救命措置など、多くの訓練が必要である。

ロ 外部の救助隊側の準備

 公的な山岳救助は、日本の場合は警察が中心となる。ただし、警察以外にも、消防や各県の防災ヘリ、民間の救助隊などさまざまな資源が投入されることが多い。そして、このような後から現場にかけつけてくる救助隊に加えて、現場に無事だった仲間たちがいる場合には、上記に述べた通り、これらの仲間たちが、初動対応に従事することもある。このように多くの異なる組織・団体が十分スームレスに組織化された対応をとれるような仕組みが日本にあるかというと、実は十分ではない。それは、標準化されたインシデントマネジメントシステムが日本に導入されていないためである。米国やカナダなどでは、ICSが雪崩インシデントに対する捜索救助活動にも適用され運用されているのだが、日本の場合にはそれがない。従って、どうしても、不十分な連携、救助の遅延、責任の押し付け合いといった組織論上の問題が発生する。

 今回の事故では、主催した学校側の意思決定の問題にばかり焦点があたっているが、その他にも改善できる部分は多数あるはずである。救助にあたった外部組織なども含め、改めてどこか改善できる点がなかったか見直す必要があるのではないだろうか。

 登山者側に様々な装備や訓練が必要であるのと同様に救助機関側でも、救助に必要な装備を備え、定期的な訓練が実施されていなければならないのだが、今回の救助にあたった機関の装備や訓練は十分だったのか。また、多くの機関を巻き込むような今回のような大規模インシデント発生時に適切な組織化ができるようなマニュアルが準備されていたのか。

 (2)対応(Response)

 (1)にて述べた準備(Preparedness)は、インシデントの発生前に備えておくべき事項であるが、必要な準備があったとしても、実際にインシデントが発生した場合には、様々な資源配分や捜索救助計画に関する意思決定上の問題や不必要な遅延などが発生するものである。

 例えば、110当番通報があったのは、9時半頃だったが、8人が掘り出されたのは11時半頃だったという報道がある(正確なところは不明)。そうだとすれば、連絡を受けてから緊急出動し、掘り出し完了まで2時間かかっていることになる。

 また、今回は警察、消防、DMAT、民間団体等の多くの機関の資源が投入されているが、それらの資源配分は効果的だったのか、要救助者に対するトリアージは適切に行われていたのか、どこかに改善の余地はないのか。一般的に完璧な救助活動などというものは存在せず、どこかに何かの改善余地があるのが普通である。今回、8人もの犠牲者を出している。高校側ばかり非難するのではなく、救助機関側の改善余地についても十分に検証すべきである。

(3)復旧(Recovery)

 一般的な災害時には、道路や鉄道、建物などの物的資源が被災し、それらを復旧するというプロセスが存在する。しかし、今回のような雪崩インシデントの場合には、基本的にそのような物的資源の被害はなく、復旧というプロセスが存在しないように見える。しかし、広義に考えれば、怪我をした高校生などに対する治療や医療サービスなどは、人的資源に対する復旧プロセスである。これらのプロセスにて必要な資源が適切に投入されていたのかどうかも検証する必要がある。

 

このように最悪の事態に至る前にその負の価値連鎖を止めるチャンスは何度かあったはずであり、高校側の責任ばかりを追求するのではなく、マネジメントシステムとして捉えた場合にどこに問題があったのかを真剣に検討し、検証することが、同様のインシデント発生時に被害者を出さないようにするために必要不可欠である。

事故を避けるための必要な努力、または、事故が発生した時に対する必要な備えについて、あらかじめ、妥当だと思われる規範(法令やガイドライン等)があって、それらを守っていなかったということであれば、それを守らなかった人は非難されても仕方がないが、そのような規範がなかったのであれば、皆で協力して、新たな規範を作るということが同様の被害の発生を防ぐためには必要である。

よく報道などに出てきて「そんなのは常識だ」みたいなことを述べ、その常識に反していることをもって非難する人もいるが、常識などという曖昧な規範で人を裁いたりするようなことはできない。やはり、キチンと文書化されたものでなければならない。それがないのであれば作れば良いだけである。「作ってないのか」といって非難するのもあまり建設的な行為ではない。素直に事故分析の結果を反省し、「作りましょう」と合意し、関係者が協力すればよい。なお、そのような規範は必ずしも法律や条例のような公法である必要はない。まずは、任意のガイドラインというような形でもよい。最初から公法を作るのは難しいので、まず最初はガイドラインを作り、それを広く普及させるための研修・訓練の仕組みの構築などを始めるべきである。

 

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「もんじゅ」はシビア・アクシデントに対応できるのか?

霞が関が高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉の検討を始めたことに対し、交付金が減ることを恐れる地元敦賀市は「非常に遺憾だ」などと述べ、「もんじゅ」の安全性よりも、目先の地元経済への影響ばかりを懸念している。敦賀市は、政策として、市民と安全と目先の金とをどのように天秤にかけ、優先順位付けしているのだろうか。原発交付金依存体質丸出しの態度である。(⇒「もんじゅ:避けられぬ交付金減少 懸念が広がる地元・敦賀」)

さて、もんじゅは、ウランを燃やす普通の原発と異なり、核分裂の連鎖反応を起こしウランよりも遥かに強い放射線を出すプルトニウムを燃やす特殊な原発であり、その冷却にはナトリウムが必要である。そして、ナトリウムというのは水と反応すると爆発的に炎上する。普通の原発は、どこにでもある水でも海水でも冷却できるが、もんじゅはナトリウムがないと冷却できない。

人間が作るものに100%安全などというものは存在せず、インシデントやシビア・アクシデントを100%防止するなどということは不可能である。必ず、予期せぬ事態は発生する。ナトリウムがないと冷却できないようなプラントにおいて、予期せぬインシデントに対応することが可能なのか、福島のようなシビア・アクシデントが発生した場合、それをコントロールすることが可能なのだろうか。

福島の場合も、事故が起きる前は、全電源が喪失するなどという事態が発生することは全く想定されていなかった。しかし、それでも、システムとしては、全ての電源を失い、電源を使った冷却ができなくなった場合でも、空気で冷却できるようにはなっていた。福島では、運転上の問題などにより、それもできなかったので、メルトダウンという最悪の事態になってしまったが、それでも、メルトダウンした核燃料を海水で冷やすことはでき、今でも冷やし続けている。

福島のような全電源喪失、メルトダウンという事態がもんじゅで発生した場合、冷やし続け、かつ、放射線の外部への放出を抑えることは可能なのか。ナトリウムなど、海水のようにどこにでもあるような物質ではないし、取り扱い方が非常に難しい物質である。それでも何とかする手段を準備しているのだろうか。この点を明確に説明してほしい。

原子力村では都合の悪い想定はしないことが多いので、もんじゅの場合も「そうゆう事態は発生しません。」などという前提条件になっているのではないだろうか。だとすれば、これはリスクマネジメントが全くできていないことを意味する。もんじゅは、極めて政治的に強引に進められてきた傾向が強いので、様々な点で論理的におかしいと思われる点を無視してきているのではないだろうか。それゆえに現場の技術者も「こんなことやっていられるか。」という思いが強くなり、あげくのはてには報道されているような膨大な量の点検漏れなど安全管理の不徹底という組織文化が生まれてきたのではないだろうか。

もんじゅのような極めて大きなリスクを背負う組織で安全を重視しない組織文化が生まれている背景に何があるのか。そこを分析し、改善しない限り、もんじゅを廃炉にし、核燃サイクルを維持するために別の新しい高速炉をフランスと共同開発したとしても、また、同じような組織文化が醸成されていくだろう。今一度、よく考えてもらいたいものである。

 

右のサイトが非常によくまとまっており支持できる。⇒ 「もんじゅで今起きていること

 

村社会の功罪

日本は村社会である。欧米が狩猟型文化であるのに対し、日本は農耕型文化に根差し、その結果、村社会といわれる文化が発達してきた。現代社会において村社会は、地方の田舎にのみ残るもので、都会に出ればそんなことはない、という意見もあるが、都会のマンション暮しにこそ村社会はないかもしれないが、大企業に勤めれば多くの企業内文化は村社会に根差しているし、官公庁などは組織そのものが村である。政界・学会なども「村」以外の何物でもないだろう。

では「村社会」とは何だろうか。当然ながら、それを定義した法律などは存在しない。しかし、ネットをググると幾つかの定義らしきものがヒットする。例えば、コトバンクには、

有力者を中心に、上下関係の厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な村落。村の決まりに背くと「村八分」などの制裁がある。
同類が集まり、ピラミッド型の序列の中で、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を1にたとえた語。談合組織・学界・政界・企業などに用いる。(デジタル大辞泉)

閉鎖的で因習にとらわれた社会を村にたとえて言った語。 「派閥という-から抜け出せない」 (大辞林)

Wikipediaには、次のような特徴が列挙されている。

  • 水利権、入会権、漁業権などの産業上の権益の範囲と一致した広がりを持つ。
  • 長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する。
  • 所属する「村」の掟や価値観・しきたりが絶対であり、少数派や多様性の存在自体を認めない。
  • “掟”に関与しない世間一般のルールやマナーにはルーズ。他者がルールを守る姿にも息苦しさを感じるため、他者にもルーズさを強要。「マナーを守らないのがマナー」と化している。
  • 出る杭は打たれる。長い物には巻かれ、流れには棹を差すべし。寄らば大樹の陰。義理と人情。横並び。
  • 排他主義に基く仲間意識が存在する。
  • 自分逹が理解できない『他所者』の存在を許さない。
  • 同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いており、自我の存在を認めない。
  • 傍目には異端者に寛容だが、相手を理解しているのではなく理解できるものに「改造」しようとしていたり、特例で見逃されているだけであったりする。
  • 白か黒か、善か悪かといった二極論を好む。これが「異端者は自分たちを見下している/敵意を抱いている/自分より劣る存在である」といった思い込みを生みやすい。
  • 弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。
  • 構成員は陰口を好む。
  • 有形物のみならず時間や空間に対する共有意識も強く、プライベートやプライバシーといった概念が無い。
  • 事なかれ主義が多い。
  • 噂話に対しては、真実かどうかを追求するより、噂を既成事実にしようとする。
  • インテリが少数であることと年長者の影響力により、架空の法律のでっち上げ、「神頼み」といった非常識がまかり通る。

村社会は、仲間意識が強く、協調性が強いため、農業や工場労働など共同で肉体労働を行う場合には適している。 かつて、日本の製造業の品質が良く、世界に品質面でナンバー1の評価を得られてきたのも村社会のメリットである。助け合いの精神が強いため、震災復興のような状況でも大きな力を発揮する。

反面、多くのデメリットもある。第二次大戦前のように国全体が戦争一色となると、皆、周囲の目を恐れて異論を唱えることができなくなり、後戻りが非常に困難になる。自分の意見を持たず、持っていても言わず、大衆迎合主義になりやすい。選挙の時に「組織票」などというおかしな票田があるのも先進国では日本ぐらいだが、これも村社会のなせるわざだろう。財政赤字がどんどん膨れ上がっているにもかかわらず、必要性の低い公共事業をこれまで通りどんどんやり、後戻りできなくなっているのも、村社会の意思決定ゆえである。

危機管理上もこの村社会文化がプラスにもマイナスにもなっている。震災復興局面などではプラス面が強く働くが、他方、インシデントに対する準備と対応の局面ではマイナスに働く。

まず、準備面だが、村社会は、「誰かが助けてくれるだろう」みたいな他力本願的な考え方を基本とする甘えを許しあう寄合的な組織文化であるため、「自分の身は自分で守る」という欧米型の自律を基礎においた組織文化と異なり、リスクを直視しない傾向が非常に強くなる。すなわち、欧米のようにリスクを合理的に算定し、便益に見合ったリスクを引き受けるという習慣に乏しい。上記のWikipediaにもあるとおり、白か黒か、善か悪かといった二極論を好む傾向が強いため、安全面でも100%安全か、そうではないか、という視点で物を見る。原発の安全神話がその例だが、この世に100%安全なものなど存在しないのだが、電力会社に100%安全だ、と言わせないと気が済まない。その結果、準備を怠り、福島で見られたような結果に至っているわけである。これは、ある意味、「責任の押し付け合い文化」とも言える。自分で一切責任を取りたくないので、電力会社に100%安全だと言わせ、何かあったときには全部お前が悪い、ということにしてしまいたかったのだろう。

鹿児島県の三反園訓知事が8月26日、九州電力に川内原子力発電所(同県)の一時停止と再点検・再検証を求めたたが、瓜生道明社長は「技術的に大丈夫」と安全性を強調し、一時停止要請を断った。これなども典型的な村社会現象だろう。当然、100%の安全などは存在しないが、原子力安全委員会が定めた基準と審査はクリアして運転されているわけである。「熊本で地震があったので心配だから止めてくれ」などという論理が通ってしまうとキリがなくなる。前知事の伊藤氏はそんな必要はないという立場だったが、7月の知事選によって知事が替わった結果である。よく言うと民主主義、悪く言えばポピュリズムである。「もうすぐ、定期検査がありますので、その時に十分な検査を行ってもらいます。しかし、県としても、避難計画の再確認などを至急行う予定です。」などと説明すれば不安を抑えることはできたのではないかとも思う。従って、ある意味、前知事によるリスクコミュニケーションの失敗が原因とも言えるが、村社会でのリスクコミュニケーションは難しい。

更に、毎年9月1日に行われる防災訓練だが、これなども見せることが目的の訓練であり、問題点を抽出するための訓練とは到底思えない。防災訓練と名の付くものは9月1日に行われるもの以外でも同様であり、儀式的な意味合いがつよく、実際の役に立つ訓練ではない。建て前という日本人独特のものの考え方、つまり、現実がどうであれ、うわべだけはていねいにつくろうことを重んじる村社会特有の文化に起因する訓練ということができる。

災害への対応の局面では、セクショナリズムが表に出てきやすい。災害の救助・救援にあたる行政組織は、非常に多階層のピラミッド型組織、すなわち、伝統的な官僚制組織である。ウェーバーによって提唱されたこの官僚制は、正確性や安定性、信頼性などの面で優れている反面、訓練された無能力(以前の状況下で適切な行動パターンだったものが、状況変化の後にも持ち越されてしまい、そのまま継続的に繰返されてしまうこと)、セクショナリズム、目標の転移(規則を守ることが手段であったにも関わらず、それ自体が自己目的化してしまうこと)等の問題を引き起こす。

また、この多階層組織は、情報の伝達や意思決定に非常に時間がかかる。例えば、係員→主任→係長→課長補佐→課長→部長→次長→大臣(知事、社長など)(トップダウンの時はこの逆方向)とまともなルートで情報伝達していたら、伝達に大変な時間がかかると同時に、伝言ゲームのように情報が変形する。大規模な災害が発生したような場合に、このような情報伝達を行なっていれば、意思決定や命令伝達に大変な時間がかかると同時に情報が正確に伝達されない。誤って伝達された情報に基づき意思決定が行われれば、その結果は悲惨である。

時間にゆとりのある平時においては、なんとかなるかもしれない。しかし、時間のない危機的状況が発生した場合には、問題である。つまり、これが、先に述べた「訓練された無能力」を生み、いざ、大規模な災害が発生し、迅速な意思決定が必要な場合でも、責任を負わされたくないので、誰も意思決定しようとしない。

欧米の組織ではフラット化が進行しているのに対し、日本では、依然として、非常に縦長なピラミッド型官僚組織が多くみられ、かつ、このように意思決定に時間がかかり、かつ、意思決定がゆがむ可能性が高いにも関わらず、緊急時にも通常時と同じように通常組織のトップまで上げて細かい意思決定を行う傾向が強いのも、その根底にある村社会が原因だろう。しかし、問題を解決するための方法はないのか。

  • 意思決定及び救援・救助活動を迅速化するためには、災害等の発生状況の全体が見渡せ、どんな援助が必要であり、何をどこへ配備するのが最も効果的であるか瞬時に判断できる現場に意思決定権限を委譲することである。意思決定が迅速化すれば、救援・救助活動も自動的に迅速化する。現場の指揮官以外は、あくまでも現場指揮官からの要請に応じた側面支援とすれば混乱も減る。
  • 情報伝達を正確化するためには、通信用語を標準化すればよい。共通の単語を使えば誤解も減る。異なる組織でも通信連絡がとれるよう共通の通信手段を用意することも必要だろう。
  • セクショナリズムを排除するためには、現場に全ての機関の責任者が集まり、現場で情報を統合・共有し、意思決定を共同で行えばよい。全体の状況が共有されればセクショナリズムは減る。膨大な量の情報を共有し、調整された意思決定を行うためには、責任者が一堂に会し、同じ資料を見ながら、Face-to-Faceで議論し意思決定するのが最も理想的である。無線や電話による電話会議機能で代替できる場合もあるかもしれないが、Face-to-Faceの会議には劣るので、これらは基本的に、指示や報告、支援要請の伝達のみとすべきである。
  • 準備体制を改善するためには、準備体制を評価するための標準化された評価指標を作り、各地域ごとに評価し、問題点を抽出すると同時に、各地域間に一種の競争意識を芽生えさせ、互いに刺激し合わせるという策がある。

上記の改善策を全て含んだシステムは、米国で採用されているICS(Incident Command System)などのように災害対応時の組織編成法などを標準化することと準備評価システムを組み合わせることによって実現可能なのだが、これらの改革を実施する段階でも、村社会の文化が障害となり、なかなか前に進まない。

 

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政府の危機管理組織の在り方について(最終報告)

http://www.bousai.go.jp/kaigirep/kaigou/saishu/index.html

上記の副大臣会合報告書だが、主たる目的は防災庁、言い換えれば、日本版FEMAは当面作らないという結論を出すことにあるのだろう。この点はいい。しかし、この報告書が出されてから、現在に至るまでの状況を見ていると政府のサボりが目立ち始めているような気がしてならない。いくつかの点について指摘したい。

1.「調整権限」

この報告書では、「調整権限」という表現を多用している。しかし、何か勘違いしていないだろうか。「調整」とは、英語でいう「Coordination」の和訳であり、幾つかの国際条約の邦訳としても法的に定着している法律用語でもある。しかし、「調整」は「関係者の合意によって意思決定する行為」である。「相手の合意がない場合でも意思決定できる行為」は「指揮統制」や「指示」または「命令」である。相手との合意を見出す行為に権限が必要だという考え方がそもそもおかしい。調整は任意に誰が誰とでも基本的に行うことができる行為であり、そこに権限などは必要ない。指揮統制や命令ならば当然何らかの権限が必要であるが、調整に権限が必要だと考えているのはどのような理由によるものなのか。「米国FEMAには強力な調整権限があり・・・」(この認識は誤りである。)のような書き方をしているので、その辺りに理由があるのかもしれないが、調整に強力も弱いもない。調整は調整であり、それに強弱はない。(⇒日本版FEMAには多くの誤解がある

日本の役所には、「総務課」とか「企画課」などという名称の、主として関係課の調整を所掌事務としている組織がある。概ね、この種の課の仕事は、窓口業務がメインであり、書類を右から左へ転がしているだけなのだが、緊急時における日本的な「調整」を主要業務とする新しい役所が出来たらどうなるか。書類の右から左への転送が増え、伝言ゲームが増え、経済学でいう「エージェンシーコスト(代理人コスト)」が増え、かえって意思決定が遅れるだけだろう。

「調整」や「指揮統制」という語を混乱して使用している学者も多い。この二つは根本的に違うものであり、調整は「場所」や「委員会」で行われるよう義務付けたり、レイゾンオフィサーを指定させることはできても、誰かに権限がないと実施できないというようなものではない。東大法学部を出た優秀な政府の事務官までもがトンチンカンな混乱はしてほしくない。

 

2.省庁横断的な対応(「縦割りではない対応」)

この報告書、これまでの政府による対応が「縦割り」だったということを認めたという意味では革命的であると思う。この縦割りを排除するために「日本版FEMA」、「現地調整」、「オールハザード(災害対応の標準化)」などの視点で議論されている。

①日本版FEMA

この報告書では「現段階において、政府における統一的な危機管理対応官庁の創設等中央省庁レベルでの抜本的な組織体制の見直しを行うべき積極的な必要性は、直ちには見出し がたい。」として、直ちに日本版FEMAを作る必要はないとしている。この認識は正しい。日本版FEMAについては、一部の勉強不足の学者や事実関係をよく認識していないマスコミが騒いでいるだけで、巨大な組織を作れば災害対応がよくなるという理由は全くない。エージェンシーコストが増え、意思決定が遅れるるだけである。日本の場合、今でも身動きがとれないほど政府部門が巨大すぎる状況であり、これを更に巨大化するような組織を作っても何もよくならない。

②現地調整

最近では「現地合同指揮本部」が関係省間で設立され、その場で調整されることが多くなった。ひと昔前にはそれすらなかったが、一定の前進であると考えられる。

③オールハザード(災害対応の標準化)

「我が国において発生が懸念される様々な災害・事故等はそれぞれ異なる特徴を有 しており、対応に必要とされる専門性も異なる一方で、災害対応について共通する 部分の標準化は重要であるところ、災害対応の標準化については、中央防災会議の 防災対策実行会議の下に設置することとした災害対策標準化推進 WG や関係府省庁 の ICS 実動省庁 WG で検討を行っている。 」とあるが、実際には何年か前に、次の報告書を出してから、次のステップへと前進しようとしている痕跡が見られない。

http://www.bousai.go.jp/kaigirep/kentokai/kentokaigi/

この報告書に基づき、本来は、関係省庁間で更に検討を進めなければならないはずだが、「報告書出したからもうおしまい」と思っているのではないだろうか。実際には、現場における標準化されたマネジメントシステムの存在が効率的な震源配分や意思決定のための最も強力な武器となる。この点をおろそかにするともう一発巨大な災害をくらったときに非常に大きなツケを払わされることになる。

 

3.短期人事異動の改善

「現在の我が国政府における職員配置を見ると、多くの職員が2年程度の期間で次 のポストに異動することが通例となっている。特に、内閣官房(事態対処・危機管 理担当)及び内閣府(防災担当)については、職員数が必ずしも多くない中、他省 庁からの出向者が職員の多くを占めるため、その傾向が顕著であり、防災・危機管 理に関する専門性が組織として蓄積されにくい状況になっている。 」と問題は認識しているようだが、だから、どう改善していくかが全く書かれていない。この巨大な素人集団に少しでもプロフェッショナルを増やす努力をしなければ、ツケが大きくなるということぐらい子供でもイメージできる。

 

震災から5年も経つと、もうホトボリが覚めたような感じになり、政府役人もサボりたくなるのかもしれない。

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東京オリンピックの警備と防災

リオデジャネイロオリンピックが終わった。過去最高のメダル数だったし、非常に多くの感動があった。最後の閉会式で土管の下から湧き出てきた安倍総理大臣だけは余計だったが、ドラえもんを使ったアニメーションも非常によかったように思う。

リオでは選手村の水回りの不良が相次ぎ、卓球の福原愛の部屋のトイレが故障し、言ってもなかなか修理に来ないので自分で直してしまった、というエピソードは有名だが、東京でやる限り、このような間の抜けた品質不良のサービスが提供される可能性はまずない。町中で選手が泥棒に遭ったり、殴られたりという事件がリオでは多発したようだが、これも日本では発生しないだろう。日本は、未だに犯罪に対する安全性や物やサービスにおける品質の面では、世界一だろうと思う。

ただし、東京オリンピック中に大規模災害やテロなどの大規模インシデントが発生した場合に、関係機関が横のつながりを密にして、効率的なマネジメントを実施できるか、という視点で見ると、非常に心もとない。この点では制度的に見て、先進国中、最低最悪の期待値とならざる得ない。

東京オリンピックともなれば、警視庁が全国の警察から応援を受けて、間違いなく、厳重な警備を大規模に実施するだろう。しかし、リオでもそうだったが、東京でも、恐らく、非常に多くのボランティアが様々な面で参加するはずである。自衛隊や消防などもそれぞれの分野で警備や防災などに従事するだろう。更にセコムやALSOK等の全国の警備会社約9000社も東京オリンピックの警備で協力するという。このように、関係者や関係機関が多くなると、ひとたび、大事件や大災害が発生した場合、その意思決定が遅延・混乱し、現場が大混乱する、というのが日本の歴史上の事実である。東日本大震災や熊本地震の場合、被害者は基本的に日本人だけだったが、東京オリンピックの最中にこんなことが起きれば、被害者は全世界のアスリートや観光客になり、そのステークホルダーは全世界に及ぶ。国内関係機関のみならず、全世界のステークホルダーを融合的にマネジメントして、インシデントに対応する能力は、今のところ、日本にはない。

唯一、これを可能にする方法は、全関係機関が標準化されたインシデント・マネジメントを採用し、発生したインシデントに対して、柔軟にその組織規模や構成機関を変更して、対応にあたることである。インシデント・マネジメントを標準化するということは、それほど難しいことではない。緊急時に編成する組織の機能や用語、組織の編成方法、意思決定のプロセスや実施計画書のテンプレートなどを事前に決めて統一マニュアルを策定し、関係機関がそれを熟知しておけばよいのである。このような標準化によって組織化コストが削減され、調整及び意思決定が改善され、資源の最適配分も達成されやすくなる。

米国のインシデント・コマンド・システム(ICS)も、オリンピック警備などですでに採用されており、有効に活用されている。ICSは、災害などのインシデントが発生した後に編成される現場組織に適用されるものと思われがちだが、それに限定されることはない。警備体制というのは、何かの犯罪インシデントの発生に備えての事前体制のことだが、ひとたび、実際にテロなどのインシデントが発生した場合には、資源を追加投入し、対応組織を拡大していかなければならない。このような拡大をシステマチックに行うための仕組みとして、そもそもICSのような標準化されたシステムは存在しているのであり、何も発生していない時点では、会場を巡回している警備員とその指揮官が小規模な組織の中で運用されるだけのことである。

最近、アメリカのICSの真似事をする民間団体も多少あるし、政府でも、統一用語、統一マニュアルを作ろうとしている痕跡は多少ある。ただし、まだまだ、標準化のメリットをよく理解している人は皆無に近く、先は遠い。東京オリンピックで日本の醜態をさらけ出さなくても済むように頑張ってもらいたいものである。

 

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保健所のICS

災害対応の業務における問題
・市役所と保健所でマニュアルの内容が異なる。 (方針が異なって調整されていない。)
・情報が来ない。
・連絡を取ることもままならない。
・上からの指示が来ない。
・自分たちの役割がわからない。
・市でも保健所でも同じ内容の会議をしている。
・ここの責任者は誰だ? ・A病院はいっぱいなのに、B病院は患者がいない。 (資源の活用アンバランス) などなど

災害時に起きる問題の 大部分は、 技術・知識の問題ではなく、 管理の問題です。

情報源:ICS理論から入る 危機管理調整システムの理解 – 全国保健所長会

ネット上にあるICS関係の資料は、誤解が多く正しく理解していないものが非常に多いのだが、この資料は、正しい理解に基づいた非常に良いプレゼンテーションだと思う。ICSは、アメリカの真似をしてICSごっごをしたところで何かが直ちに改善するというようなものではないので、このプレゼンテーション資料にあるようにその背景にある理論を学び、なぜ、このような仕組みを標準化することが合理的なのかを理解し、自分たちで、自分たちの組織に合わせて、仕組みを構築することが非常に重要である。

保健所や病院は、災害時に大混乱をする最前線であり、たぶん、現場でのマネジメントの重要性が理解できるのだろう。この資料からは真剣さが感じられる。もっと、このような理解を促進する必要がある。

 

 

見せかけとしての訓練では不十分

NHKなどでの報道を見ていると、相模原での事件を受けて全国の障害者施設で不審者に対応する訓練が始まっているようだ。確か2001年に発生した大阪の池田小学校での事件の後もそうだった。多くの小学校で警察官の指導を受けながら不審者対応訓練を実施していたように記憶している。訓練を実施することは必要なのだが、問題はその想定とシナリオ、つまり、今回は障害者施設、10年前は小学校というように、事件と同じ施設が狙われているというシナリオに基づく訓練ばかりが行われていることである。日本では、何か事件や事故があると、あまり意味がないということがわかっていても、見せかけを作るためのパフォーマンスとしての訓練が行われることが非常に多い。

正直言って、今回の犯人が無罪放免されて留置場から出てくることでもない限り、全く同じパターンで狙われるなどという確率は限りなくゼロに近い。池田小事件のあと、同じような事件が小学校で発生しただろうか? 全くゼロだったはずである。今回の犯罪は、過激派集団による組織的な犯罪ではなく、いわゆる「ローンウルフ型憎悪犯罪」である。これが組織的なものであるならば、同様なシナリオが発生する可能性は確かに高いが、今回のパターンは全くの個人によるものであって理由もターゲットも独特なものであるので、全く同じパターンの発生確率は極めて低い。

ただし、今回の事件が、人々、特に障害者施設で働いている方々のリスクパーセプション(リスク認識)に変化を与えたことは間違いない。従って、障害者施設の方々の不安感が高まるのは当然であり、何ら不思議なことではない。しかし、実際には、その犯人(リスク源)がすでに逮捕、すなわち除去されている。必要以上に障害者施設の方々の不安を煽るのではなく、障害者施設の方々に対する説得力のあるリスクコミュニケーションが実施されれば、障害者施設の方々のリスク認識、言い換えれば不安を和らげることはできるはずである。

ところで、今回の事件と同じシナリオが発生する確率は極めて低いのだが、他方、日本でも、無差別殺傷事件は多発している。右の表は、7月27日付日経新聞電子版からの引用であるが、同記事にもあるように、これらは、多かれ少なかれ、社会に対して何らかの反感を持つ「ローンウルフ」が過激化した「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」である。欧米のテロと違うのは、宗教的なものでも組織的なものでもなく(オウム事件を除く)、銃を使ったものでもないということぐらいである。表から見ても、同じシナリオで発生しているものはないことがわかる。それは、それぞれのリスク源である行為者本人が逮捕されているからである。

このように全てパターンが異なる場合どうすべきか。これは「オールハザード」と呼ばれる対応手段を準備しておくしかないということになる。「ハザード」とか「リスク源」とか「脅威」など、いろいろな言葉が氾濫しているのだが、防災分野ではリスク源をハザードと呼び、セキュリティの分野などではそれを脅威と呼んでいるだけであって、いずれも、好ましくない結果をもたらしかねない根源的な要因である。

今回のような犯罪の場合はハザードと呼ぶよりも、脅威と呼んだ方がよいのかもしれない。その場合、どのような脅威に対しても効果的に対応する手段ということになる。そんなことが可能なのかと瞬間的には誰もが思うだろう。しかし、アメリカなどで発達している「オールハザード」という考え方は、何のことはない、お客様からのオーダーメードによる特注品の製作工程と同じである。トヨタのジャストインタイム工程と同じことだとも言える。(注:「オールハザード」という考え方は、全てのシナリオを詳細に事前に予測して災害の発生を予防するという考え方ではない。逆に予測しきれなかったシナリオに対して事後的に迅速かつ柔軟に対応して被害を最小化できるよう要所要所を標準化したマネジメントシステムである。)

ある犯罪者は、銃を持っているかもしれないし、他の犯罪者は包丁かもしれない。ある犯罪は、複数人のグループによるものかもしれないし、他はローンウルフかもしれない。銃を持っている犯罪者にナイフで対抗するのは、B29に竹やりで対抗しようとするようなものだし、組織的な犯罪にひとりで立ち向かうのもアメリカ映画に出てくるヒーローのような力を持っている者でなければ無謀である。つまり、個々の脅威に対応するために必要な道具や人数、組織、作戦(これらを総称して「資源」と呼ぶ。)は、全てのケースにおいて異なるということである。

ではどうするべきか。答えは、資源と機能、資源とプロセスを完全に分けたマニュアル(「インシデントマネジメントマニュアル」)を作っておき、そのマニュアルに習熟しておくということである。しかし、実は、このように分けて考えるということが意外と難しい。往々にして、我々の作るマニュアルというのは、「誰が何をする」、「何によってナントカする」、「どの組織が何をする」、「次の仕事は誰がする」などとように資源と機能、資源とプロセスを明確に紐づけて固定的にしてしまうのだが、これが諸悪の根源である。重要なことは、目的を達成するために必要な資源を柔軟に選択することである。銃を持った侵入者がいたとし、目の前にナイフしかなければ、無謀な行動をせず、外部に支援を要請する方がよい。ではどのように外部に支援を要請すべきか、このようなプロセスを明確にしておけばいざというときの現場の混乱はある程度避けられる。

どのような脅威が発生したのか、まず、把握する(敵は何人、敵の武器は何、など)。それに対応するための資源は手元にあるのか、なければどこにどうやって支援を求めるか、現場ではどのような立場の人(誰がという特定の人物名ではなく、「当直長」「その場に居合わせた人の中で最上位の人」などのように柔軟性を持たせておく)が指揮者になって当座の意思決定をするのか、などをあらかじめ決めておき、資源選択の訓練や支援要請の訓練をしておく、そして、このようなマニュアル作成と訓練を今回事件のあった障害者施設だけではなく、様々な組織で実施しておくことが重要だと思われる。なお、オールハザードの考え方を徹底し、作り方さえ間違えなければ、今回のような犯罪リスクのみならず、災害リスクなどにも対応できるはずである。

日本では、「訓練をやりました」という「アリバエ作りのための訓練」、言い換えれば「見せかけ」の訓練が多すぎる。日本は基本的に村社会文化に根差しているため、みんなの和を維持することに過剰に神経を使い、喧々諤々と意見を述べながら訓練や議論を繰り返すのは難しいのかもしれない。必要なのは現実を重視し、熱のこもった議論をしながらマニュアルを作り、その内容の確認と改善のために訓練を実施することなのだが・・・。

 

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