防災訓練は”儀式”

15年くらい前に出版された本だが、P.ハットフィールド著(竹内均監訳 赤井照久訳)『東京は60秒で崩壊する』(ダイヤモンド社、1991年)という本を図書館で借りた。以下はおもしろいと思われる部分の引用。

おそらく地球上でこれほど周到綿密な防災訓練のできる国は日本をおいて他にないのではないか。といっても、東京ほど大きなスケールの災害に直面している都市も、また世界にはないのである。訓練はどれほど役に立ったのか? 「この種の儀式をやるのはいいことです」と力武教授は笑いながら言った。儀式? 「そうです、本質的に儀式なんです」と力武は笑った。9月1日の訓練は本物の地震に対しては無意味ではなかったかと、私は國弘正雄(地震対策の充実を政府に働きかけている参議院議員)にたずねてみた。「無意味というのは控え目な表現ですね」と國弘は言う。「おろかだ、馬鹿げている、こっけいだ、と言いたいのです。あの災害訓練を見て、戦時中、B-29の空襲に対抗するためにやったバケツリレーの訓練を私は思い出しましたよ。子供でしたけど、私たちにはあの訓練はまったくムダだってわかっていましたね。」訓練は、おそらく建て前という日本人独特のものの考え方からきているのだろう。現実がどうであれ、うわべだけはていねいにつくろう、というやり方だ。本音という真実は巧みに隠蔽してしまう。訓練は大規模地震にはとうてい役立たないだろうが、とにかく訓練はやりましたという見えせかけだけはできる。そして見せかけが社会関係の中で強い意味を発揮する国では、見せかけることは必要なのである。(P.ハットフィールド著、竹内均監訳、 赤井照久訳『東京は60秒で崩壊する』ダイヤモンド社、1991年、64頁)

今でこそ、シナリオレス訓練も多少行われているようだが、未だに「下手な劇」(筆者がかつてある防災訓練に参加した時の役割は「◯時◯分にFAXのボタンを押す」だったことがある。)のような訓練って多いのではないだろうか。訓練は、シナリオ通りにやってこない災害に対し、柔軟に対応できるか、その問題点を抽出することが目的。シナリオなし(つまり「オールハザードアプローチ」)に、柔軟に対応する仕組みを構築するための訓練を行ってほしいものである(シナリオなしに柔軟に対応するためには「標準化」が必要なんですけどね)。

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